2014年8月アーカイブ

1. グッズで一番重要なものは何と言っても靴。これは少々お金を出してもいいものが必要。
   砂が入りにくいハイカットがいい。とにかく帰りは変な靴だと、靴の中が確実に砂まみれになる。

2. おにぎり3つくらい。前述。

3. 酸素酸素酸素
   今回高山病防止のため、酸素系を持って行った。酸素吸入器5ℓ、酸素入り飲料、酸素発生粉末、
   極めつけは酸素飴 この中で一番効果あったと思われるのは、酸素入り水だった。
   なぜかわからないがこれが一番良かった。

4. とにかく軽く軽く
   何もかも持っていきたい気持ちはわかるが、とにかく軽く軽くすることが後々差になる。

5. 100円玉多数
   トイレ事業は実は非常にいい。もちろん7、8、9合、頂上は割ときれいなトイレはある。
   使用料200円が必要、頂上のみ300円必要。
   トイレは屋久島よりよっぽど快適。

6. 杖は一本
   杖を一本折り畳み式を持って行った。杖は必ずいる。2本でもいいが、もう一本は頂上で買おう。
   そうすると頂上の刻印がもらえる。最初に二本あると帰りが持ちにくい。
   ちなみに杖は、5号では確か600円。頂上までは1200円(各合の刻印付)、頂上は旗・刻印
   付きが1500円だった。

7. 長居は無用。
   休憩は、ついつい長い時間休みたくなるが、5分から10分程度がベスト。長く休むと身体が
   なまり、次に行きたくなくなる。長くよりまめに休んだ方がいい。

8. 晴れ男
   実は僕は晴れ男。大きなイベントはほとんど晴れる。今年お取引先を招いた大きな会があり
   直前まで台風で中止予定が、一転当日は一滴も雨が降らない好天気になった。
   今回の富士山も今年最高の天気(らしい)。頂上まで半袖で良かった。
   風もほぼ無風でこれほど登りやすい日はなかった。富士山登頂にはぜひ晴れ男をご一緒に。

9. 派手派手な衣装。登頂下山中の山の色は、赤茶とグレイしかない。登頂の際は、決して地上では
   着られない派手な色の方がいい。遭難の時に目立つというより、富士山が非常にカラフルになる。
   まるで牢獄壁のようなキャンバスに点で落とした登頂者の色とりどりの衣装の色。
   また見る人に元気を与えることも。

10. 仲間
    登山はやはりきつく、孤独なもの。そこに元気仲間がいれば、何かと助け合える。そして何より、
    途中にそして頂上で味わう感動を分かち合える。たぶんこの感動は何十年たっても分かち合え
    ると思う。

不思議との遭遇

1. 頂上の神社で結婚式を挙げたカップルと遭遇。新郎は富士山のコスチュームをしていた。
   日本一の幸せ者!

2. 8合目あたりで空に舞いあがる龍の雲を見た。見た後、次の数秒後に鳥のような形になり
   去って行った。雲は生きている。

3. 5合目登頂入り口付近で、不思議な格好をして登頂に向かう人を多く見た?
   2才くらいの赤ちゃんを背負ったお母さん(スーパーに買い物風)
   薄手のTシャツと短パンに大きなカメラを持った中国人家族連れ(浅草観光風)
   日傘を差しながら、優雅に歩く40代くらいの女性(ニコタマ風)
   サングラスに白いパンツ黒の長袖シャツをバシッと決めたイタリアン2名組
   (六本木クラブがえり風)
   フレアーのスカートにフリルのひらひら派手なブラウスかつポニーテール(メイド喫茶風)
   ベビーカー連れ(??)
   もちろんこれからの服装に似た方は、頂上にはいませんでした。
   観光気分・ピクニック気分では決して踏み入れてはいけないまさに神の山。

/治山 (おわり)

人生初の富士登山 ~番外編~

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その他 印象に残ったこと(番外編)

1. 今まで見たことの無いような雲の動き

   8合目あたりを過ぎると雲よりも高くなる。その8合目で、雲が水蒸気のように、あるいは
   バスソープがバスタブから溢れるように、下からモコモコと誕生していく様子を初めて見た。
   真っ白い雲が次々と生まれ出てくる。やがてそれが柱のように次々とそびえ立っていく。
   マーラーかベルディのような壮大なシンフォニーだった。

2. 雲2

   8合目と7合目の下山で見た雲。雲が近い、本当に近い。
   竹ざおで届きそうな位置になる。横に目を向けると雲が目線の高さ。この経験はなかなか
   出来ない。

3. 布団の花畑

   9合目に富士山ホテルがある。
   それ以外にも7合目、8合目などにホテルがある。天気のいい日は、そのホテルの屋根一面、
   地面一面に布団が干してある。それらを上から見ると、コンクリート地面に咲く花のようにすごく
   きれいに見えた。

4.星がきれい
 
  最初は光がほぼない山道を登って行く。光は星のみ。ただその星の多さと明るさはまさに
  プラネタリウム状態。バスを降りて星を見た瞬間 「近すぎて怖い!」誰かが叫んだが
  まさに星が近い。 昔ハワイで僕が感じた感想と同じだった。
  星が落ちてくるようで怖い!というイメージを思い出した。

5.ジャージジャケット

  今回、実は当社が開発したジャージ系のスーツのジャケットを持って行った。
  この収縮性はまさにジャージ並みで、以前これを着てドライバーをフルスイングしたらナイスショットが
  出た。そこで今回このジャケットで登った。
  軽くつっぱりもなく大成功!改めてジャージスーツのすごさを感じた。出張、外回りには欠かせ
  ません。


トリビア

1. 頂上の火口が思いのほか小さい。最近立ち並ぶ大型ビルは確実に入らないであろう。  
   それほど狭い穴だった。

2. 7合目を過ぎるととにかく岩岩じゃりじゃりの世界。おとなの砂場遊び。

3. 頂上にお土産屋も多し、驚いた。刻印をしてくれるキーホルダーなど多彩。
  
4. ただ頂上のキーホルダーの日付刻印は思ったよりしょぼい

5. 困った時の馬頼み。途中でバテた人の為に、5合目まで馬にのっけておりてくるサービスが
   7合目あたりにある。値段は2万円前後。

6. 非常にへたばっていて、ギブアップ寸前の外国人を見た。
   二十年以上前にアメリカで高速道路に乗っているときや、やたらエンスト起こしていたアメリカ
   車をなぜかそれを思い出した。
   彼らは、絵葉書の富士山を見て、美しいと思い登山に来たのではないか?
   さらに世界の山に比べ簡単に登れると思って来たのではないか?
   やっぱりやめればよかったという表情の外国人を多く見た。

7. 沈黙の世界。登る際に(降りる際も)ほとんど音がしない。話声もほとんどなし。
   酸素が薄いところでは、みんな無口になる。

8. 富士山物価
   杖は後述の通り、ラーメン900円、かつ丼1000円、ペットボトルが300円か400円。
   思ったほど高くない。その秘密は、頻繁に来るキャタピラー車の存在が大きい。

9. 頂上ではLINEはつながらなかった。

/治山 (次回へ続く)
 
   

人生初の富士登山②

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解説編 つづき

6. 感動と共に頂上にたどり着き、友人Kと抱き合った後。彼の勧めで(彼は何度となく富士山に
   登っている。) 頂上の小屋でラーメンを食べた。東京本流東京ラーメン。
   今までで人生で何杯ラーメンを食べたかわからない。しかしこのラーメンは必ず僕の美味かった
   ラーメンベスト10に残るラーメンと思った。
 
   富士山を登り、塩分が消耗しきった後の、この塩味がきつめのラーメンの味を僕は一生忘れない。
   これは多くの美食家と言われる人もほとんど味わったことがないだろう。
   ぜひ食べてもらいたい逸品である。

   教訓:頂上に登るとその人でしか味わえない最上のご褒美が待っている。

7. 頂上で極上ラーメンを食べ、頂上の神社にお参りしたのち、30分位休憩し下山に向かった。
   これまたあまちゃんだった。下りるだけでしょ?と軽く考えていたらところがどっこい。
   永遠4時間以上のくだり道が待っているのです。
   もちろん直線ではなく、100M位のぎざぎざの道を下り続ける。ちょうど砂利の砂場を歩いている
   みたい。
   早く歩こうとすると砂利に足を取られ、何度も転んだ。しかも景色は行けども行けども灰色がかった
   世界。砂ほこりは激しく、サングラスとマスクは必携。
   心身ともに痛めつけられる。頂上の感動はどこへやら。何試合も続く、消化試合のように疲れ切った
   体でとにかく5合目を無言のうちに目指す一行。ほこりまみれ、汗まみれで5合目についたとき
   頂上とは違う感動があった!

   教訓:商品を仕入れて並べるだけが仕事ではない。お金を回収するまでが仕事。

8. 今回ご来光は頂上では見なかった。確か7合目と8合目の間で見たと思う。
   それで良かった。決して負けず嫌いで言っているわけではない。
   一緒に行っているチームは何度も登っているチーム。5合目を3時~4時の間で出発する
   スケジュールであった。
   なぜなら、今回9合目までルートは、ほぼがら空きの状態。大抵みんなご来光を頂上で見たいと
   思っているわけでこれに合わせると登山渋滞に巻き込まれる。事実3時くらいに山を下りること
   には、5合目くらいには数珠つなぎのように人があふれていた。
   空いているのが何よりいい。自分のペースで登って行ける。前のペースで渋滞状態になると、
   酸素が薄い中疲労がたまり、確実にへたってくる。今回それがなかった。

   また、ご来光も、ガイドがどこで見ても同じだよというように、(実際は違うかもしれないが)
   7合目で見たご来光に非常に感動した。真っ白い雲の間からゆっくりゆっくり真っ赤な卵が
   生まれるように太陽が出てくる。少し顔を出しただけで、空は青くなり、さらに丸い卵を中心に
   真っ平水平線に赤い水が流れ出すように、横一文字に赤の線が引かれていく。
   その後、その赤い線は太くなり、やがて赤い面となる。
   青と赤と白のコントラスト。
   思わず手を合わせたくなるような光景であった。

   教訓:常識にとらわれずに、自分の考えを持った計画が勝利を呼ぶ。

9.今回のど素人かつ、あまちゃんの僕がなんとか登頂、下山できたのも、K氏とK氏の会社の
  みなさんの大いなるサポートのお陰だと思う。先ほどのスケジュールから始まり、何かあった時の
  準備・対応は気配り・おもてなしの鏡であった。
  僕のほかに、K氏の会社の新入社員18名が今回参加し、初登頂全員がみごとゴールしたと
  いうのも、事前の完璧な準備、そしてお互い励ましあう仲間、さらにはそれを引っ張るリーダー力
  だったと思う。
  聞けばK氏の会社は別イベントで毎年100キロマラソンに挑戦し、女性から男性まで、ひどい時
  には2日以上不眠でゴールするという。

  教訓:K氏の会社に学べ。

  /治山 (次回へ続く)

人生初の富士登山!!

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50歳を前にして、初めて富士山に登った。
5合目から登って降りるまで約12時間、めちゃくちゃ疲れました。
5合目(2305m)から残り1471m。(富士山3776m)
経験したことのない人は(高低差)1.5キロ弱でしょう? 毎日通勤の際に行き帰り結構歩いて
いるよとか、ゴルフ場でもワンラウンド10キロ位でしょ?随分大げさな!と感じる人もいるでしょう。
実際僕がそうでした。
正直、なめていました。
友人に誘われ、彼と彼の会社の方々、総員約30名登りました。

まだ、夜が明けていない3時30分ごろ5合目を出発。そしてそこに戻ってきたのがまさに12時間後の
午後15時30分ごろ。頂上到着も10時30分ごろと7時間かかりました。

感じた事、書きたい事はまさに富士山のごとく山とありますが、
印象に残ったことをまとめますと(後で詳細)

1.イモトは偉大だ!
2.80%は、決してゴール間近ではない。
3.やっぱり基本が大事
4.おにぎり最高
5.目指せ!日の丸!
6.頂上ラーメンが本当に美味しかった。
7.帰りをなめるな。
8.ご来光は、頂上で見ない方がいい
9.友情、仲間

解説編

1.イモトは凄い。見るのとやるのでは、ここまで違うのかと本気で思う。
  テレビ番組で世界の山に登るお笑い系イモト。今後は彼女を見る目を変える!
  とにかく100m、いや10mが非常に遠い。
  疲労を山と抱え重い足を引きずって、息も絶え絶えに一歩一歩砂利道を上がっていく。
  まだこれだけしか進んでいないと何度思ったことか。
  
  屋久島にも何年か前に行った事があるが(これも友人に誘われて)、それの10倍はきつい。
  その理由として、横の移動なら普段我々は経験している。
  しかし、縦の移動はほとんど未知数。酸素が少なくなる中で横縦の移動がここまで大変かとは
  思い知った。
  正直、行く前はなんとかなるだろうと事前の運動もほとんどせず。
  案ずるより産むが易しと僕の信念的な、気持ちでスタートした。しかしその気持ちは、歩き出して
  3時間くらいですでに、キツッと反省気味。しかし始めた以上何が何でも最後まで!という気力で
  頂上まで行けた!もちろん多くの人のサポートがあったからです。

  教訓:「他人のやっていることを見下すな」、また「案ずるより産むが易しでない事もある。
  しかしやる気と準備と応援があれば達成できる!」

2.80%出来れば、ほぼ完成と思うが、全く違う!という事を思い知らされた。
  山では、99%の地点でも断念した話をよく聞く。ましてや8合目と頂上では、天と地の違い。
  行けども行けども次の合目までは着かない。最初の5合目から7合目でさえ、まだかよ!と
  思った。もうだいぶ登っているし、もちろん7合目過ぎたあたりと思っていたら、7合目まではまだ
  まだ。
  つらいのが見た目、決してはるか遠くではない。すぐそこに見えている。しかし眼上に見えている
  あの7合目の小屋まで辿り着けない。これが頂上まで延々と何時間も続く(涙)

  教訓:仕事で80%完成と思ってもまだまだ先があると思ってもまだまだ先があると思ってやる
  べし。8合目はまだ道半ば。

3.同じ様に登っていて、途中下山する人と頂上まで行ける人の差を一言でいうと、基本をやり続けて
  いるかどうか?基本とは、歩き方と呼吸法。
  ガイドさんに言われた誰でもできるこの2つを、最初から最後までやり続けることが、のちの大きな
  差となって表れた。
  もうキツイと思った時こそ歩き方と呼吸を思い出して前に進んだ。そうすることで何とか前に
  進めた。

  教訓:遠くに見えた頂上も小股で一歩一歩、やり続けると最後はゴールに行ける。

4.途中のおにぎりがどれだけ力になったか分からない。コンビニおにぎりを2個もらい、登り始めた。
  まず一つ目を7合目位で食べた時の感動!
  昼食にあれだけ食べている物とは全く違う。なにか体の内側からくる元気!
  おにぎりの他に飴やカロリーメイトなども多く持っていて、ちょくちょく食べていたが、おにぎりだけ
  何かが違った。
  もう一つは結局頂上で食べた。おにぎり一つで苦しい時、また頑張れるとも思う。
  もう一つあるということが、僕を支えてくれた。
  昔たしか、「黒パン捕虜記」という直木賞があったが、その時の僕の気持ちだった。
  おにぎり最高!

  教訓:心に「おにぎり」があれば、今を頑張れる!人それぞれのおにぎりを見つけよう。

5.心身ともにバテバテで9合目の白の鳥居を過ぎたころ。頂上を見上げると真っ青な空にたなびく
  白と赤の日の丸が見えた。あれがゴールだと思った瞬間、最後の力が出た。
  肩に突き刺さるリュックの重さがふっと軽くなり、養成ギブスをしたような足の辛さも消えた。
  心も体もゴールに向かってターボがかかった。まさに神がかった瞬間であった。

  教訓:手に届くゴールが見えると、人間は自分自身で新たな最強エネルギーを生み出すことが
  出来る。
 
  (次回につづく)

/治山 
    
  

座右の銘②

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再度、経費削減運動を徹底し、広く再建案を社内に募った。その結果、一つの新規事業案が目を
引いた。その案とは、本来の藩の強みを活かした政策。つまり絹糸の生産を倍増させるもの。
これは着物を含め市場は大量にある。
決断した鷹山は、各家に桑の木を大量に植えてもらい蚕を飼い、絹糸の生産を大幅に増やそうとする。

しかしこの新規事業の欠点は、軌道に乗るまで時間がかかること。その間も社員を食わせていかないと
いけない。社員には自らの身は自らで守るという考えを説いて回った。
まさかの時の為に最低食べられるだけの貯蓄を奨励。(実際は、飢饉による餓死をなくすように、
食用の草を各家庭に植えさせた。)

 数年たち徐々に絹糸の生産は増えていった。しかし思ったほど利益は増えない。
なぜなら、中間業者の卸や小売りに値段をたたかれ、安くしか売れなかったことが原因であった。
どうすれば、利益を増やすことが出来るのか?考えに考えた末、鷹山が出した答えが、付加価値を
持った加工品を作り売る。
買いたたかれないオリジナルのものを作ればいいのではないか?という事だった。
つまり原料の絹糸を織って生地(二次製品)にして売り出すという案。
ただし、これにも一つクリアーしなければならない問題があった。

それは、誰が織るか?今全社員は、それぞれの持ち場の仕事で手一杯。
誰かいないか?あたりを見回した時、鷹山は、大きな人材の山を見つけた。
それはスタッフの奥さん方である。専業主婦である彼女らを労働力に変えられないか?
鷹山は、まずは自分の側室からその内職を始めさせ、その製品を藩が買い取ることで、一気に広げて
いった。

少しずつ新規事業が利益を生み出していく中、いままで全て鷹山を苦しめた天が最後の最後で
助けてくれた。

大ヒット商品が生まれたのだ。ユニクロのヒートテック並みの大ヒットが生まれた。
それが米沢織の透かし織だった。これは高い技術によってでしか作り出せず、米沢藩の独占となった。
この大ヒットにより年間10億円以上の利益を計上。借金も少しずつ返していった。

鷹山は、事業が軌道に乗るや否や、いままでやりたかった福祉を充実。人口増の政策(他藩との結婚を
許可、結婚して米沢藩に住ませた。)また、子供手当制度を設け、さらに介護休暇も許可した。
学校等の教育政策も広げていった。

鷹山は、これらの改革を70才でなくなるまで進めていった。
鷹山公の死去の翌年、一時はは300億以上に膨れ上がった借金を管財し、わずかばかりの剰余金も
作った。鷹山の生涯かけての改革は、ようやく日の目を見た。

生涯56年かけての改革、不可能と言われていた会社の再生を行う傍ら、自らは生涯、質素な食事と
綿の着物で通したという。

僕が鷹山を敬愛してやまないのは、単に財政立て直しをしたのではなく、挫けてもくじけても常に前に
進む不屈の精神、実行継続力、そして何より常に民の事を考えて行動し、制度を設けた事である。
何のために改革を行ったのか、それは決して自分のためではなく、民をいかに幸せにするかという1点に
尽きると思う。

「受け継ぎて、国の司の身となれば、忘るるまじきは民の父母」

生涯を振り返ると、この言葉の持つ
意味が、すごく深く感じる。

もう何度目になるかわからないが、鷹山の評伝を紐解いて、謙虚な心を持ち、スタッフの事を本気で
思いながら経営にあたろうと強く思った。

/治山

座右の銘①

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座右の銘はと聞かれると、「受け継ぎて、国の司の身になれば、忘るるまじきは民の父母」と
答えます。(他の言葉を使うこともありますが)
ご存じ 上杉鷹山の言葉です。
先日、テレビで鷹山公の物語を見ました。 改めて大いに感動しました。

ご存じの方も多いと思いますが、その生涯を会社に(現代)置き換えて説明することにします。
まず、義理の父から頼まれ17歳でいきなり、面識のない会社の社長に就任。何と未成年!
就任した会社は、160億円以上の超借金会社、明日倒産してもおかしくない状況。
事実、前社長は、諦めて民事再生(幕府に領地を返還)をしかかった。

経営を今までやったことのない、またオーナーでもない鷹山が立て直せるのか?
会社は万年赤字で、とにかく人件費が多い。その人件費の中身は、さらにひどく。役職を持って仕事を
しない人たち(いわゆるぶら下がり社員)が同規模の会社に比べて9倍もいた。

ふつうこれらは、リストラ勧告だが、リストラは許されない環境の中、若社長鷹山が、まず手を付けた
のは、経費削減。自らの給料を10分の1にして、食事も着る物も質素倹約にし見本を示した。
その上で幹部にも経費削減を課した。さらに生産性向上の為にホワイトカラー管理職(つまり武士)
を営業(農業)に回し、徹底的に新規開拓(新田開墾)をした。

少しずつ改革に手ごたえを感じだしていた就任6年目。いきなり冷や水を浴びせられる。
重役7名による取締役会でのクーデターで、待遇改善、そして社長解任要求。それをなんとか乗り切り、
その7名をクビにした。

その後、開墾だけではとてもでないが借金を返せないと知るや、新規事業を始めた。ろうそく等の原料
となる漆の木の植樹。100万本を大量の資本を投下して試みる。まさに、社運を賭けた大事業。
目のつけどころは良かったが結局大失敗。
競合がより安いろうそくの原料を開発。そのため市場での競争力がなくなり、大量に苗を買った借金
のみ残る結果となった。

悪いことは続くもので、個人ではどうしようもない東北大震災並みの自然災害が起こる(浅間山大噴火)。復興費用も膨大にかかり、この2つに事で一気にいままで少しずつ返済していた借金が大きく
膨れ上がる。
社長就任時の160億円の借金が、300億円の借金に。自らの18年の改革が無駄に終わったことを
知り、心身ともに疲れ果て、その2年後、全ての責任を取り社長辞任。
後継者に譲り、みずからは引退の身。当年35歳であった。

新しく就任した新社長は、鷹山の経費削減運動をあざ笑うかのように徐々に経費を増やし、さらに財政
は厳しくなった。いよいよ残された道は、破たんか民事再生しかないと幹部全員が思ったその時、
誰からともなく鷹山の社長復帰を望む声が広がる。
会社の絶対絶命の危機に際し、昔でいう老体に鞭を打って、第2期の改革に挑むのである。

(続く/治山)

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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