ド素人の絵画展2 17世紀のダースベイダー カラヴァッジョ展

 

カラヴァッジョ展、そこは美術館と言うより映画館の様だった。

会場の奥の壁には、スクリーンのかわりに一つの絵が掲げてある。

画中の女スリは、今まさに金持ちのぼんぼんから財布を盗もうとしている。その一瞬がまるでヒッチコックの映画のワンシーンのように描かれている。凄くリアリティを感じるが、一方、何でこんな題材を、選んだのかが気になった。

 

画家の名はカラヴァッジョ。

今話題のEU統一紙幣以前のイタリアの最高額紙幣の肖像として使用されていたらしい。(日本で言えば福沢諭吉)驚くべきは、かのダビンチやミケランジェロを押さえてである。その栄光とはうらはらに、彼の人生は、黄金色よりむしろ血に塗られている。

誰もが羨む才能を持ちながら、それをコントロールしきれず破滅へと落ちていった。常に、ダークサイドとライトサイドを行き来した。

誰かに似ていないか?そう彼は17世紀の「ダースベイダ―」である。

彼の驚くべき人生をダースベイダーと比較してみると、

1.      青年カラヴァッジョ: ミラノからローマに出て来て、極貧生活をしていた彼に大きなチャンスが訪れる。ローマ教会の枢機候(デルモンテ)のパトロンがついたのだ!

 

少年アナキン・スカイウォカー(後のダースベイダー): 砂漠の惑星タトゥイーンで、奴隷の子として暮らしていた彼は、後の師匠になるオビワンに拾われて、惑星を脱出する。

 

2.      カラヴァッジョ: この枢機卿の下、最高の環境の中でひたすら作品に取り組む。この数年で現代まで残る作品を数多く残した。その中の「聖マタイの召命」では窓からの聖なる光を描く。この光こそが、神の啓示の如く、後の画家に多くの影響を与えることとなる。

 

アナキン:オビワンの下、ひたすら修行にはげみ、ジェダイとして大きな才能を開花させた。ある時は、師匠のオビワンさえ上回る活躍をし、帝国の危機を何度も救った。

このころが彼らの絶頂期だったであろう。

 

3.      カラ: 一方、その絶頂期において、たった2日で祭壇からはずされた作品があった。それを指示した司教は、その絵を見て「すぐれた技術を持つ画家の作品かもしれないが、その画家の心は邪悪で善行や礼拝などといった信仰心のかけらもないに違いない。」と言ったという。

 

アナ:彼の能力に対する賞賛の中、ヨーダのみが、彼の中にある深いダークサイドの存在を指摘する。

 

4.      カラ:やがて、彼の生活はどんどん荒れていく。傷害事件も数多く起こすようになり、作品の美しさと反比例して、絵筆よりナイフを持っていた時間が多かったという、ライトサイドが、強くなればなるほどダークサイドが広がっていく。

 

アナ:ジェダイの修行のさなか、大きな力を持った彼は、その力を復讐の為に使ってしまう。母を殺したサンドピープルを女子供構わず皆殺しにする。その残虐さは、後のダースベイダーを見るようである。

 

そして、ついにその日が来る。  

続きは次回。

しつこく続く(苦笑)

さて後半戦です。ひきつづき推理しながら、お進みください。

 

6.      セザンヌのように

セザンヌは、自然の全てを「球と三角錐と三角柱」で表現しようとしたと言われる。まさに記号化である。

日本には、庭山水という世界にどこにもない表現方法がある。禅寺などはよく見かけるあれである。

日本人は、壮大な実際の山や川を、庭と言う限られた空間の中で表現した、いわば自然のジオラマである。自然をジオラマ化するには、切り取り、簡略化、記号化(アイコン)が欠かせない。

それと同じ表現が広重作品にあった。

風景を、大胆に簡略化、記号化している。先ほどのデフォルメと相まって「間違えようのない分かり易い」名所という世界がここにある!

余談だが、実は日本人はこの記号化がお家芸である。家紋はもちろん、最近のLINEのスタンプなども感情の表現をよくまあこんなに簡潔に記号化していると感動すらする。

7.      ゴッホ、ルソーのように

今回の展示会を見て最初に感じたのは、その色の鮮やかなこと。とても100年以上前の色ではない。この驚きは、ゴッホやルソーを見た時に感じた絵自体が発光しているように色鮮やかである。色が、どんどん迫ってくる。

特に赤が活きている。この赤により絵がピリッと締って見える。丁度、うどんに入れた七味のように、

 

8.      ピカソのように

ピカソは2次元のキャンパス上でいかに3次元を表現できないかチャレンジして、あの訳わからない絵にたどり着いたという。

広重の鳴門の渦や銚子の海の絵をじっと見てみる。不思議不思議、波が動き出す。

これは、北斎の富嶽三十六景の神奈川沖浪裏でも同じである。2次元でありながら、異様な立体感がある。この波に吸い込まれる感覚に襲われる。以前、カナダでナイアガラの滝を見た時と同じ印象を持つレベルだから恐ろしい。

さらに、見えないものまで、立体化して体験させる。例えば風の見える化「美作 山伏谷」。しんと静まり返った音の見える化「永代橋 佃しま」花火の音も「両国花火」さらには、竹藪の臭いさえも「庄野」

 

9.      マチスのように

実際の色ではなく、目に見える色をイメージに置き換え、色の縛りから解放してくれる。

現実の世界は無限の色で満ち溢れている。それを、絵画で表現する時は限られた絵具の色で再現しなくてはならない。浮世絵のように、版画絵になると使える色がさらに限定されてくる。大変だったと思う。その少ない色数で自然を再現する。そこでは、人並み外れた判断力が試される。現実とイメージの色がバチッとマッチした時、絵を見た後の風景が、その色には思えなくなるから不思議である。

10.      ミロのように

ミロを見ろ!ではなく(苦笑)ミロは考えるものだと思う。最初見た時は、何だこれは?という歯牙にもかけないで通り過ぎた。しかし、よくよく解説を聞いてみると、全ての線、全ての図形がそれ以上でもそれ以下でもない位、切り落とされてあの絵になっているらしい。感情で描くのではなく、知性で組み立てるという感じである。

さて、東海道五十三次の構図には驚く。例えば新幹線は横長の絵で表現した方が、楽である。しかし、広重はそのような普通を嫌い、徹底的に計算しつくして、違和感なく魅力的に描いている。

手帳の下絵を見ると、「天橋立」は当然、横長のページにはみ出すくらい描いてあった。それをなんと縦の構図を直して、実物よりも実物近くにしている。横でしか表現でいないはずの「丹後 天の橋立」の構図には心底驚いた。

 

ここまで、続けてきた戯言にお付き合い頂き、ありがとうございます。

みなさん、浮世絵がなぜすごいか?僕なりの「答え」が分かったでしょうか?

 

それでは、答えの発表です。ジャン!

 

答えは...(だましてすみません、)10どれも×です。

結局は、最初にお話しました通り、絵画ド素人が、小賢しくどこかでかじった知識をもっともらしく語ってきたことがで、「浮世絵の凄さが表現できるわけがない!」というのが結論です。

上記の戯言は、浮世絵鑑賞において全く無駄と分かりました(苦笑)。すみません。

絵画は、やはり理屈ではなく、感覚で感じさえすればそれでOKと言うのが答えです。

 

お付き合い頂いた方、申し訳ございません。

ド素人は、ド素人らしくただ味わい感動すればいい!というのが今回のブログの結論です(苦笑)

料理も、音楽も、同様で小賢しい解説はいらないから、早く食べさせろ!早く見せろ、聞かせれろ!が、答えかなと思います。

 

最後に蛇足を。

 

なぜこれほどすごい浮世絵が、長年日本では正当な評価を受けず、ほとんどが西洋に流出したのか?それは、実は身近すぎてその偉大さが分からなかったのではないか?丁度本当に凄い人を家族に持った者は、当たり前すぎてその凄さが分からなくなるように。

アインシュタインもジョブズも坂本竜馬なども、周りが騒ぐからすごい人だと思うけれど、

身内から見ると実は単なる変人さだけが、際立って見えたのではないか?

 

そういえば、僕の事も身内はあまり評価してくれていない気がする。ということは、実は偉大なのでは?というのは冗談だが(笑)ただ、冷静に見ると周りも評価してないような気もするのでやっぱり凡人(笑)

話を元に戻すと、当社でも身近すぎて、その能力をちゃんと評価できていない人もいると思う。

固定観念を捨てて、もっと本質を見て評価しようと、これもまた広重に教えられました。

前回の続きです。すでに、飽きた人は、答えだけを。

もう少し付き合ってもいいと思う方は、ひき続き、これら10のうちどれか?

僕なりの浮世絵のすごさの「答え」を推理しながらお読みください。


1.      江戸時代のグーグルアース

現代の我々はグーグルアースを使って、居ながらにして世界を旅できる。広重の絵がまさにこれ!

この時代の人々は、今以上に旅するのに苦労したと思う。実際ほぼ不可能だったのではないか?もちろんテレビもネットも写真さえない。そんな中、広重の浮世絵を見て、自分が実際に旅をしている気になったのではないか?東海道、富士山、江戸の名所など。我々でさえ、このたったA3大の小さな絵をじっと見ていると、その場にいるような気になる。恐れ入る。

さらに凄いのが、ズームもワイドも自由自在。遠くで全体図を見ていると思えば、ズームしてその橋に立っているような絵もある。

さらにさらに、それだけでは終わらない。目線の高ささえも。鷹の目線のように空からだと思っていたら、一気に下りて虫や犬の目線になる。人々が、その風景でどこが一番見たいかをまるで、知っているかのような描き方をしている。

まさにグーグルアース!

極めつけは驚くなかれ、もはやグーグルアースを超える!

広重は、グーグルアースでも出来ない事さえ、簡単に行っている。

それは・・。デフォルメ。強烈なデフォルメ。

例えば富士山。こんなにとがっていた?など関係ない。解説などいらなくて、誰がどう見ても富士山である。

特徴をとらえてデフォルメは、浮世絵の真骨頂。役者絵など、その最たるもの。似顔絵や、形態模写は、本人以上の本人と分かる。はやりのAI(人口知能)による顔認証など百年以上前からやっている。

 

2.      ファンアイクのように

ゲントで「神秘の仔羊」を見た時にその精密度合いにド肝を抜かれたが。広重の絵にもそれを感じた。細かい草花、髪の毛、人間はここまで緻密になれるのか?しかも筆で。しかもしかも、浮世絵はこれで終わりではない。彫師もこの胃が痛くなるような作業をしていたなんて気が遠くなる。どこまで細かいのだ!

3.      ブリューゲルのように

ブリューゲルが、市井の人を題材にしてその時代の人々の暮らしを描いたのに似て、

広重の浮世絵にも、ほとんどの場合、人々がいる。笑って、泣いて、驚いて、困って、登場人物も魚屋、商人、遊女などなど。リアル時代劇を見ているようで、その時代のにおいさえ感じる

4.      マネのように

構図が凄い、一瞬にして目を引かれる。そのために、物体の一部しか描かないことなどザラ。顔の半分や、亀、荷車なども大胆に切っている。

この大胆さはどこから?思うに古典の西洋画はほとんど一人のパトロンの注文で書いている。しかし、浮世絵は大衆相手の商品であり、一瞬にして他の作品より目立って、しかも欲しいと思わせないと売れない。自分の描きたい事と言うより、目立ち、売れる物を。そのシビアな現実が、浮世絵をより、大胆な構図にさせたのではないか?

5.      モネのように

4にも通じるが、人は見たいものを見て、聞きたい事を聞く。見たく聞きたくない物は、脳が勝手に削除する。(ここがAIとの違いといわれる。)例えば、雑踏の中で自分の子供の泣き声を聞きわけるがごとく。人は目で無く、脳で観る。

モネの睡蓮は、目でなく頭で感じる。だから本物以上に心にしみると思う。

広重の絵も、単に自然を再現したのではなく、広重の心の目というフィルターを通して、本物以上に本物の美しさを見せてくれる。

 

次回に続く

広重展、これは驚いた!

正直 今まで浮世絵の魅力が今一つ分からなかった。というより、心の中で、西洋絵画(いわゆる油絵)と比べて、浮世絵を低く見ていた。「単なるプロマイドかポスターでしょ?」くらいに。

 

私のような美術ド素人から見れば、西洋絵画は、高価な絵の具を使い、キャンパスも大きく、そして時間をかけて丁寧に書いてある。(なんとなく高そう!実際高い!!)それに比べて浮世絵は、小さいサイズで、ペロッと平面的で奥行きがない。

さらに決定的な違いは、2枚と同じものがない西洋絵画(現代アートは別)に比べて、浮世絵は、同じものが何枚も存在するではないか!

 

しかし今回のサントリーホールでの広重展を見て、自分の無知を恥じた。浮世絵師たちに謝りたい。

「美術の価値は、大きさや値段ではない!」(言ってみれば当たり前の事)

「美術の価値は、感動の大きさで決まる!」

と浮世絵を見ながら、(誰だかわからないが)美術の神に教えられた気がした。

 

さて、展示会場に入ってみよう。

明るいホールから一気に照明が落とされていて薄暗い。静寂の中に、一枚一枚の絵にスポットを当てられている。

吸い寄せられるように、そのスポットの絵に近づいて見る。

 

凄い!

鳥肌が立つとは、このこと。

「すごい、すごい、本当に凄いのである!」と叫んでも、実際見ないとこのすごさは伝わらないので、今回はこれでおしまい。では意味がないので、なんとか伝わるように、こじつけであるが、浮世絵がなぜ凄いのか?僕なりに、その答えを下の様に列挙してみた。

 

さて、僕の答えは、この10個の中のどれだったでしょうか?今回は、推理をしながら読み続けてください。

(答えは、このブログの最後に書いています!)

 

西洋画に負けていない、その凄さとは!

1.      (広重の絵は)グーグルアース!居ながらにして世界中に連れて行ってくれる

2.      (広重の絵は)ファンアイク!超絶技巧で人も小さな花びらさえも精密に描っている

3.      (以下 広重の絵は、を略します。)ブリューゲル!その時代に生きる庶民の暮らしを見せてくれる

4.      マネ!対象のみに集中して、余計なもの省いてくれている。

5.      モネ!対象を単なる写実でとらえるのではなく、光を分析して、実際以上に真実の姿を見せてくれる。

6.      セザンヌ!超単純化、形式化を試みて、全てを記号として見切っている

7.      ゴッホやルソー!100年以上たっても絵が光って見える。

8.      ピカソ! 平面の絵が、3Dにみえてくる。

9.      マチス! 固定観念の色の縛りから自由にしてくれる

10.   ミロ!一本の線と構図を徹底的に計算しつくし、いきなり絵の世界に入り込ませてくれる。

 

さあ、この中で答えはどれでしょう? 


つづく

「リーダー論 その2」

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飛行機に乗ると「意外な出会い」がある。

これは「人との出会い」の話ではなく。映画の話である。

国際線に乗って、見たい映画を一通り見て、その後に映画館にはわざわざ行かないけど、面白そうな良品を見て、「得した!」とえらく感動する事がある。そんな時、その偶然に感謝する。多分その飛行機で出会わなければ一生見ないであろう作品であるからだ。

思いついたまま、そんな作品を上げてみると「ヘアースプレー」「キューティブロンド」「ノッティンヒルの恋人」「ブリジッドジョーンズの日記」「プラダを着た悪魔」などなど、他に「アニーホール」「ミッドナイト・イン・パリ」のウッディアレン物や古くは「グッバイガール」「第二章」のニール・サイモン系。日本では、今井俊二物も欠かせない。上げれば数限りないが・・。(見ていない人はぜひ!!)

 

そんな中、今回見た映画で「マイ・インターン」があった。

ここでようやくリーダー論。前置き置き長い!(汗)

 

お待たせしました。前回(前々回?)に引き続きリーダー論 その2

ここにも、優れたリーダーがいました!

ご覧になった方はもう説明するまでもないです。今回は、ここで終わってOKです(笑)

 

「マイ・インターン」のロバート・デ・ニーロ。最高のリーダーです。

アン・ハサウェイを優しく導く彼、惚れます!(アンではなく、デ・ニーロに)

アンは「プラダを着た悪魔」では、メリル・ストリープからまさに「悪魔」の如く指導されますが、続編か?とも言われる(続編でもないのですが・・。)この作品では、一転、デ・ニーロから「天使」のサポートを受けます。あなたは、どちらのタイプですか?

 

僕が感動した彼の最大の魅力は、ズバリ「大人の余裕」。

僕自身、正直、何歳になってもこれは身につかない(苦笑)

それはさておき、彼は、何があっても動じない。山のように動かない。

デ・ニーロと言えば、我々のイメージは、「ゴッドファーザー」「タクシードライバー」「アンタッチャブル」などなど、ぎらついたイメージであったが、最近のデ・ニーロは、本当にまろやか。昔のデ・ニーロが火を近づけば燃えるようなスピリッツ(酒)だったのが、20年、30年たって、本当に上質な熟成されたワイルドターキーのようになっている。

なにより彼の笑顔がいい!何も言わなくても、その無言の笑顔で後押しをしてくれる。

どんな言葉より、行為より、ましてやお金より、背中を押してくれる。

前回と合わせて、僕より20歳以上年下のたかみなと、20歳くらい上のデ・ニーロに教えられた。映画の言葉「Experience never gets old.経験は年を取らない。」

 

「おまけ」として、恥ずかしながら、紳士服屋として始めて「男性がなぜハンカチを必携しないといけないか」を教えてもらいました。これも詳しくは映画を!ハンカチがアカデミー賞級の名脇役を演じています。

熊本に行ってきた

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この度の震災において、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

熊本に行ってきた。当社の店も大きな被害を受け、そのうち一店舗は全損となった。

しかし、今回の震災においてスタッフとご家族が全員無事であったことが何よりも嬉しいことであった。

震災の現場に行くたびに思う事であるが、報道されているのは事実のほんの一部であって生の姿は、その場に立って、そこの空気をすわないと分からない。

スタッフの1人が言った。「震度7は、地震と分からないんです。「ドーン」と最初ダンプか何かが突っ込んできたのかと思いました。何の予兆もない。怖くて怖くてしばらく動けませんでした。」

店に向かう途中で、小高い丘から街を見るとブルーシートが点在して見える。過去の震災の時もそうだったが、ブルーシートは震災の色だ。これを見ていると本当に心が締め付けられる。熊本の美しい風景が、ブルーで汚されている。この全てが一日も早く取り除けることを強く望んだ。

 

今回一番被害が大きかったのが、PSFAの店舗。

廃墟となっている店内に、防埃マスクとヘルメット姿で入った。

天井が落ち、蛍光灯も宙ぶらりん状態で、ガラスの破片が飛び散っている中、進んで行った。

ここには何度も来ている。行き慣れたはずの通路が、初めての建物の様に感じる。

目を覆いたくなくなるような様子を数限りなく通過した後に、いきなり自店が飛び込んできた。覚悟はしていたが信じられない光景であった。天井は崩れ落ち、壁と言う壁はほぼ破壊されて、その上に幾重にも重なった什器。そして無残にもガラスとほこりをかぶっている商品群。足の踏み場もない。

聞けば、最初の地震の時、店のスタッフはここに居たらしい。そこから逃げて無事だった。本当に奇跡であろう。よく無事で逃げてくれた!たまたま、幸運にも一週間前に年に二回の避難訓練があったらしい。その訓練が今回活きた。

彼らは、まだ余震が続く中、がれきの整理をしているという。「無事にいることが第一優先なので、無理をしないでくれ。」というと、「商品の処理だけは、店舗側に依頼されているので、もう少しで終わりますので、済ませます。」と笑顔で言う。危惧をしつつ、彼らの気持ちに胸が熱くなった。

 

 その他、震災直後は多くの店が閉まっていたが、安全が確認された店は営業を再開している。ただ、それぞれ震災の傷跡が生々しい。入口のガラスが壊れ、べニア板でとりあえずふさいでいる店、店内の天井が破壊されて一部囲いがしてある店、店内の破損個所をブルーシートで覆っている店。いずれも修復を待たずに再開している。

彼らに「もう少し落ち着いてからの方がいいのではないか?」と言っても、

「引き取りのお客様が困るといけませんので、また生活物資を買い求められるお客様も来店されますので。」一応に、被災された地域の方々に自分たちが出来る事で貢献したいと言った。

普段お題目の様になっている企業理念「お客様第一主義」の実践を見たようで、本当頭が下がった。

彼自身が、被災して苦労をしているだけに、何かしたいという気持ちが強いのだという。実際、何日もお風呂に入れなかったり、近くの銭湯も3時間待ち、奥さんの実家が危険なため2家族以上が狭いマンションで同居している者、余震の事に幼い子供が泣くという者、震災後しばらくは車で暮らしていたという者。その彼らが我々に「大丈夫です。ありがとうございます。」と笑顔を見せてくれる。

 

そして「救援物資、ありがとうございました。本当に助かりました。」と感謝の言葉を多く言われた。

今回震災があった直後、すぐに救援物資を届けた。まだ余震が続く中、本部と周辺の県のスタッフが被災した仲間たちを助けたいと自主的に動いて届けてくれた。

これまで、阪神大震災、新潟上越地震、東日本大震災を経験してきた我々の社員たちは、我々幹部が指示をする前に自主的に募金活動やボランティアを実行してくれる。

そんな彼らを見ていると本当に心が温かくなる。

東日本大震災の時に広まった言葉「絆」。こういった震災があるたびに、普段見えない「絆」の存在が見える化する。そして同時に人の心の「温」が顕在化する。

また現地の方々は、どんなに踏まれても傷ついても、前に進もうとする「強さ」を感じる。

 

帰りの熊本駅で次のような手書きボードを見た。

「感謝

熊本のことを気にかけ、励ましてくださった皆さま ありがとう。

水や救援物資を送ってくださった皆さま ありがとう。

余震の続く中、身の危険を顧みず、ライフラインの復旧にご尽力いただいた皆さま

ありがとう。

皆さまから頂いた力で、少しずつ熊本も

元気を取り戻します。

がまだせ 熊本!  」

 

「絆」「温」「強さ」をもらい、全力で支援していこうと帰路についた。

がまだす 熊本!


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たかみなは、やっぱりすごかった!

「リーダー論」(講談社)この本は、今年読んだ本の中で、間違いなくナンバーワンである。

そして僕は、たかみなを尊敬する。僕の年の半分ほどの彼女を尊敬する!

 

 任せることについて――「リーダーをやっていると、自分と同じ人が何人かいたらラクなのに、と考えてしまうことがあると思います。でも、それだと一個の案しか出てきませんよね。」だから「自分だけがやっちゃあいけない」と語る。

 

この本における彼女の「リーダー論」は、全編 圧倒的な自信と信念によって語られている。控えめに言いながらも気持ちがいい位、全て言い切っている。そこには一ミリの揺るぎもない。

その言葉に、僕は納得するしかない。反論は出来ない。なぜなら全ては、経験から来ているからだ。それらは単なる思いつきや、机に向かってペンを走らせた軽いのもではない。 10年かけて、彼女が自分自身の身体と精神を痛めつけて傷つけて、絞り出した血と汗のようなものである。

彼女の名刺代わりになった『「努力は必ず報われる」と私 高橋みなみは人生をもって証明します。』

これを我々は言えるだろうか?僕は言えない。しかも日本中の人々の目の前で宣言するとなれば、相当の覚悟が必要である。この言葉通り、彼女は、それをずっと実践してきた。そして多分これからも実践して行くだろう。

以前もブログに書いたかもしれないが、以前AKB48メージキャラクターに使っていた時に、生たかみなにあった事がある(CMの撮影時)。今でも強烈に覚えているのは、彼女の挨拶が尋常じゃないほど礼儀正しかったこと。「よろしくお願いします!」という90度に頭を下げて発した挨拶は、アイドルというより体育会に近い位。きちんとしていた。すごくすがすがしかった!ただ者じゃないと感じた。

 

この本を読んでいると、たかみなは、実在の少年漫画の(ヒロインではなく)ヒーローじゃないかと思う。自分を信じて、仲間を信じて、どんな困難な状況でも決してあきらめない。自分が常に先頭に立って、みんなを導いてそして努力を怠らない。

ドラゴンボールの悟空であり、昔読んだ、ちばあきおの「キャプテン」(集英社)のキャプテンたちを思い出す。(読んでいない方はぜひ!漫画史に残る名作です。)

そして偉大なリーダーもその去り際で、晩年を汚すことがある。彼女の最後の言葉も素晴らしい。「これからのAKB48を面白くするためには、私がいなくなったほうがいい。ここから変革を起こすには・・。私がいなくなること。このグループの未来をみんなに託すこと。それが総監督として私の最後の仕事だったんです。」

最後の総選挙は終わった。もっと早くこの本を読んでおけば、間違いなく彼女に票を投じていた。これからの彼女の人生に、一票投じたい!頑張れ、高橋みなみ!!

見たよ!」と自慢するには、遅くなったが、満を侍して、「スターウォーズ(フォースの覚醒)」を見た!

公開から遅れる事1か月、ようやく念願がかなった!

お蔭で直前に予約したにもかかわらず、ど真ん中の席で見られたし、フィギア付きドリンクも半額の500円で買う事が出来た!!(ラッキー!)

 

「スターウォーズ」シリーズは、特別な映画である。全作品、公開時に映画館で見ている。(同様の作品は、「バックトゥザフューチャー」と「レイダース」くらいで、「ジュラシック」や「ロッキー」「ターミネイター」「ダイハード」シリーズも途中で挫折した)

1977年の第一作の時は、中学生だったから、その間高校、大学、社会人、そして50過ぎのおっさんになった今でも映画館で見たい!と思わせるのは、「フォース」の力以外の何物でもない。(笑)

 

今回、第7作を見るにつけ、エピソード1から6まで全て見直した。我ながら偉い!(笑)

見終わって、素直に感動したことは、エピソード4(第一作)の完成度の高さ!初公開から40年たってCGや撮影技術が恐ろしく進化した今でも、全く古く感じないし、昔と同様にワクワクする。

一方、エピソード5,6は、1,2,3と比べると少し古臭く感じる。(もちろん、これはこれで最高に面白いだが)当時の最新の技術を余すところ無く使って作ったことは、よく分かる。しかしエピソード1,2,3のド迫力の前には、・・・である。しかし!エピソード4(第一作)は全く色あせない。

そこで分かったのは、「技術は色あせるが、本質は色あせない。」という当たり前の事。多分20年後、30年後はエピソード1,2,3も古く感じる時代が来るであろう。しかし4は永遠だと思った。本質は強い!例えて言えば、「流行のお菓子は、移り変わる。しかし、「赤福」「きびだんご」は永遠である。」といえる(笑)甘党の著者より(笑)


さて、「今回の7についての感想は?」問われればズバリ理屈抜きで面白かった。同時に「おかえり!」と言いたくなった。

1,2、3は大好きだが、どちらかといえば、暗いし重い。テーマがテーマだけにしょうがないが。それに比べ、4,5,6には、軽快さとワクワク感が勝っていた。

記憶に間違いがなければ、ルーカスが、第一作直後に、「人生で辛いことがあっても、映画館の中では、全てを忘れて楽しめる、そんな映画を作りたかった。」的なことを言っていたと思う。(記憶違いならすみません)それを実現したような映画だった。当時は、何回見たかを自慢し合っていた気がする。

4を引き継いだ5,6もトーンは一緒だった。そして、今回の7は、久しぶりに4,5,6のトーンに戻ってきた気がする。緊張感の中にも、ウィットやふっと息が抜けるところ、非常にグロテスクなんだけれど、どこか憎めないキャラクターも盛りだくさんで嬉しかった!

そして、お約束の宇宙戦闘シーン。これを見ると、ああ「スターウォーズ」が返ってきたと異常にテンションが上がる。戦闘シーンは今回が一番凄かった。技術革新のリアルさで、何度もおしっこをチビリそうになった(苦笑)特に「ミレミアム・ファルコン号」の戦闘シーン!思い入れが違う。

さらに今回、オールドファンにはたまらない懐かしのレギュラー陣の数々。30年ぶりに同窓会に来たような気がした。みんなの顔を見るたびに、「お互い年を取ったなぁ、そして人生いろんなことがあったなぁ」としみじみ思う。と同時に、かなり変貌した姿の中に、昔と変わらないところを探して、見つけて、凄く嬉しく思う。そんな同窓会が出来た!

ハンソロは、(昔からルークよりも破天荒なハンソロに憧れた!)何歳になっても相変わらずカッコ良かったし、チューバッカの叫びも懐かしすぎる!レイア姫も本当に30年ぶりくらいだったが、(実生活はいろいろと大変だったと聞いているが(笑))以前より魅力的な女性に変わったのが驚きだった。僕の趣味が変わった?(苦笑)

一方、C3PO,R2-D2の容姿はほぼ変わらない。人は年とともに成長し、変化していく、変わる事が人間の本質と気づかされた。

 

さて、気づきはまだ続く。

今回3Dで見た!「絶対3Dの方がいいだろう」と思って迷わず3Dにした。しかし、結論から言うと、その必要はなかった!この映画は、多分3Dだろうが2Dだろうが変わらない。2Dでも3Dと同じ体験ができる。それを40年くらい前から、実現している。恐るべきこと!だから、公開当時、他の映画と違ってあれだけ興奮したのだろう。

 

全てが良かったが、あえて言うと、今回一つだけ、残念な事があった。第四作(エピ1)から参入した我が子供は、「ここ数年の映画の中でベスト5!」とのたまっていたが、第一作(エピソード4)から見ている僕は、あの場面(ストーリー)だけは変えてほしかった。我々世代は、先ほど言ったように第一作のキャラクターには特別な思いがある、ストーリー展開上、しかたがないかもしれないが、次回あの勇志を見れないのは辛い。(どの場面かは、想像にお任せします。)


まだまだ書き尽くせないが、みなさんもそろそろグダグダブログに付き合うのも、辛くなってきたと思うので、最後に勝手な僕のスターウォーズ論をいわせてもらえば?

「スターウォーズとは何か?」超単純化すると「巨悪に立ち向かう冒険活劇」であり「家族愛と友情」の物語と思っている。

このテーマは映画の歴史において、繰り返し取り上げてきた鉄板中の鉄板であり、映画の面白い要素が全て入っていると思う。

今回も含めて、このテーマに沿った映画の醍醐味を、壮大なストーリーの下、巨額が金を使い、最新の技術を屈指し、全作品ワクワクさせてくれ続けているジョージ・ルーカス、今回のJJ・エブラハム監督、はじめ全てのスタッフに感謝である!

次回作まで、残り2年。次回作までこのブログも「スターウォーズ」を見習って「不易流行」で綴っていきます。皆様の楽しませられるかは、はなはだ疑問であるが・・。(苦笑)


「火花」を読んだ

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話題の「火花」を読んだ。

 

 (注)いつも通り、僕の読書紹介では(これから読む人の為に)内容にはほとんど触れません。まだ読んでない人が、ブログと読んで、「そうなの!面白そう!」と本を手に取ってもらえば嬉しいですし、すでに読んだ人は、共感や「こういう見方もあんだ!」と時間つぶしにしてもらえばと思っています。それくらいまあ、適当です(笑)

 

さて、この作品。

読書直後の感想として、これはまさしく「芥川賞受賞作」であって、「直木賞受賞作」ではないと思った。読む前までは、失礼ながら少し軽く見ていて、会話中心の軽く読み流せるストーリーものという感じを持っていた。しかし、しかし、実際は全く違っていた!

僕の勝手な解釈としては、「芥川賞」と「直木賞」の一つの易い違いは、我々がその本を読む時の速さの差と考える。「直木賞系」は、ストーリーを楽しむことを主として、ゴーカートのようにどんどん読み進む。一方、「芥川賞系」は、文章や表現そのもの、あるいは語間に含まれた深い意味を読む感じで、読み進みながらも時には読み返して、その分析や比喩に感動したりする。これは、散歩に近い感覚で、時には立ち止まって「道草」を繰りかえす。

さらに言うと、「直木賞系」は映像化しても十分面白いが、「芥川賞系」は総じて、その魅力は、半減する。その特異な表現は映像には出来ないからだ。

 

同時に、この作品はまさしく「プロの作品」であった。

常々思っている事だが、プロとアマチュアの差はとても大きい。ゴルフでも歌でも、絵画やお笑いでもそう。もちろん、作家にしても素人とプロの差は歴然とある。

分かり易い文章や、何も考えないでつらつらと読める文章は、ある程度素人でも書ける。実際、全く無名のブログや著名人のエッセイを読んでもとても優れて、面白いものもいっぱいある。

 ところがどっこい、長編、かつ純文学となれば、素人ではメッキがはがれる。もちろん僕は、プロの評論家ではないので、その差まで指摘できないが、違和感は、感じる。

先日、オークションハウスのオーナーに聞いた。

本物と偽物は、何かが違うらしい。「違いを説明しろ」と言われても、うまく出来ないほどの出来のいい偽物(笑)であっても、確信的な違和感を感じるらしい。

実際に、彼とスタッフが、ある著名コレクターのコレクションの鑑定を頼まれたとき、連作のある一点の画家のサインが左右反対向きに書かれていた!あり得ないミスであるが、これは本物の絵のネガをさかさまに見ながら描いたために起こったという。それが無ければタッチにしても構図等にしてもまさに本物的だったらしい。

ただ、彼が鑑定している間中、ずっと何か違和感を感じていたとのこと。結局そのシリーズ全体が偽物であった。

 

話を元に戻すと、この「火花」は、まぎれもなく本物だった。

小説でありながら、真正面からお笑い論、芸人論を展開していて、しかもその分析は、鋭い。小林秀雄というより中上健二的な、決して難解ではないが、誰も指摘しなかった切り口でこの分野を切り込んで、その本質をえぐりだしている。そこには、ボケや茶化しはない。相方もいない。ひたすら、自分一人で「お笑いとはなんや?」と問い続け、一番深い部分に近づこうとしている。真摯なガチンコな突込み連打である。山田詠美さん(芥川賞選考委員)の選評にあったように「どうしても、書かざるを得ない切実なものが迫ってくる」ということが正解であろう。

 

この「火花」では、会話の部分は少ない。会話に逃げていない。会話をつなげてストーリーを作っていく方が、漫才のネタ作りをしている又吉さんにとっては、簡単だったと思うが、この作品では、会話を必要不可欠なレベルまで削って、それがないと物語が成立しないギリギリに留めている。その一方で、「お笑い論」「芸人論」になると途端に饒舌となる。

心情や背景に対する表現も、相当練られている。村上春樹や阿部公房のように、今まで誰も使ったことがない、こんな面白い表現の使い方があったの?という個所が随所にあって、「読書の道草」をとても楽しめた。

 

とにかく、ストーリーも面白く、そして「ディテール」も楽しめる。「一粒で二度も三度も美味しい作品」として、ぜひお勧めです!

 

この話(「火花」ではなく、ブログの話)には、後日談があって、先日 なま又吉さん、綾部さんにお会いする機会があった。なま又吉さんは、人見知りでテレビの印象そのものだし、一方綾部さんは、非常に社交的で誰でも打ち解け、親しくなれるキャラだった。この最高のコンビが、ひとたび漫才をしだすと笑いの火花を散らす。

 

今回、この2人に当社の新商品「普段着としても着られるスーツ」と、お陰様で大ヒットしている「ストレス対策スーツ」の広告についてのご協力を戴いた。

これらの商品は「火花」に例えると、全てのディテールに徹底的に凝り、時間をかけて開発した。また、一着スーツで、仕事でも遊びでも着られる一粒で2度、3度美味しい。そのネーミングを本家本元の又吉さんと綾部さんにお願いし、「MYスーツ」(毎日着られる、わがままスーツのMYをとった)と名付けてくれた。

 

又吉さんにあやかって、「火花」のように大ヒットして、業界を覆すようなインパクトを起こせれば、最高である。「火花」から転じて、大きな「花火」になればと思っている!

志の輔 落語3

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さあみなさん、これで終わりと思ってませんか?

そこのお客様!まだ帰えっちゃあだめですよ!

 

ここからが名探偵コナンで言うと、毛利小五郎がコナンに眠らされた場面であり、ベートベンの第五「運命」でいうと第4楽章が始まるころ。つまり一番おいしい場面、感動のクライマックスの始まり、始まりです。

 

さて、実は、忠敬は2度死んでいる。そんなあほな、そんなん出来るのは、007と、キリストくらい!さすが偉人は違うなぁと感心している場合では、ないない。

でも、二度死んでいる。二度寝とちゃいまっせ(笑)(どんどん、文章が荒れてすみません。正直、長い文章を書くのに、飽きかかってます(笑))

聞いている方はもっと飽きるよね。これを飽きさせない、志の輔のすごさが分かる!


忠敬が死んだのは73の時、そして3年後。死して3年、弟子たちが隠しに隠した!

そこには深い理由があったんです。

何年か前に、年金欲しさに親の死を隠す事件がありましたが、もちろんそんなせこい理由ではない。弟子たちは、完成した地図をどうしても「伊能忠敬」の地図として後世に残したかった。そのためには、忠敬の死を隠す必要があった!

地図が完成して将軍に報告する時、忠敬がいなければ、この偉業は、弟子たちのものとなる。弟子たちはこれを良しとせず、忠敬の偉業として歴史に残したかった。なんと美しい師弟愛。そのため、完成まで死んだことを隠すことにした。もちろん、ばれれば全員打ち首、切腹。しかし、弟子たちはそれを選択したんですな。

3年間。壮大な資料だったんです。測量はすべて終えていたが、地球の丸さと平面の地図の誤差を一つ一つ計算直して、地図を作る。現代であれば、コンピューターで一瞬であろうが、当時はそれに3年も。隠しているみんなは、いのう痛くなるような(ちょっと苦しい)3年だったと思います。

その結果、今 伊藤忠敬とその弟子たちの偉業は、歴史の大きな1ページとして残ることになった!

まっぱれ!MAPぱれ!(さらに苦しい(苦笑))

 

さて、元に戻るとこの話を、笑と涙と感動で約1時間30分、たった一人の男、志の輔さんが演じ切るのである。忠敬17年、志の輔20年 途中何度も、忠敬と志の輔が重なって見えた。

 

今回、この二人によって、教えられたことは、

1.何歳になってもスタートできる

2.大きな目標をもつ、夢は見るものではなく、かなえるものである

3.あきらめない情熱が大きな偉業を達成する

4.そして、夢は自分一人ではなく、大勢の仲間がいて達成できる

 

年の初めにこの落語を聞いて、改めて、今年の目標と大きな夢を抱いた!今年一年、この教えを胸に刻んで夢に向かって挑戦してみよう!試みしてみよう!

挑戦した人、ためした人だけが、夢をかなえられると信じて。

今年一年、「ためしてガッテン!」

おあとがよろしいようで。

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。