サクラサクラ

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考えてみると「同期のサクラ」というタイトルは、結構凄い。オリジナルは、もちろん太平洋戦争時代の軍歌だろう。みんなが「見事散る」のでは、悲しすぎる。「見事花を咲かせて」もらいたい。今のところまずいが・・。

 

このドラマは見方を変えると、現代の風刺画だ。

多くの会社や現代社会が抱えている課題の見える化でもある。サクラが、「スー」という合図とともに発言する事は、どれも正論であり、拍手を送りたくなる。一方、誰も正面切って口に出せない事ばかりである。さらに口に出したが最後、「見事散り」かかる。しかし、それに救われている人も多い。サクラは今日も「仲間のために戦っている。」

 

ラグビー日本代表 桜ジャパンに感動した後は、こっちのサクラで日本中が感動する事になるだろう。共通するのは、「仲間のために戦う」姿とその「夢を信じて前進し続ける」姿と思う。

 

このドラマの凄い所は、勧善懲悪ではなく、単純なハッピーエンドではないところだ。

サクラが友人のために動けば動くほど、彼女自身が、左遷され、奈落の底というか「ドブに落とされる。」非常に前向きな彼女自身もこの理不尽さに対して、心が折れそうになるだろう、その時に、彼女は夢を口にする。夢について語り、そして「それだけは、どんな事があっても諦めるわけにはいきません。」で締めくくる。自分を奮い立たせるために。

 

「ドブに落ちても芽のあるやつは、いつか蓮(はちす)の花と咲く」

サクラを見ていると、なぜかフーテンの寅さんが思い出される。狭い世の中には生きづらい真っすぐさ、そして何度失敗しても諦めないのも同じ。

寅さんの妹はサクラ。これを意識してまさかのネーミング?

 

「寅さん」みたいに、路上で行き交う人に一生懸命声をかけて、ビラ配りをしている新入社員らしき女性がいた。まだ、スーツ姿がぎこちない。声を張り上げても、ほぼ全ての人が無視。しかし彼女は怯むことなく、配り続けている。ここにもサクラはいる。頑張れ!そして「見事花を咲かせようじゃないか!」

 

今回の学び「根をはなち 針にさしても咲くものは 春のさくらと若きこころと」


素晴らしい秋のドラマ2本を紹介。

一つは、「同期のサクラ」、そしてもう一本は「まだ結婚できない男」である。

 

以前おまけで、空気を読み過ぎる人々のおかしくも哀しい物語を、最高の空気感で描いた「凪のお暇」を紹介したが、

今回、この2つのドラマの主人公は、真反対!空気を読まない人たちなのだ。ただしタイプは全く違う。

 

サクラの方は、

サクラは、今や死語になったFAXで、実家のおじいちゃん、おばあちゃんとやり取りをする。あるいは、平成初期モノ?と思われるコンパクトカメラをぶら下げて通勤する。

彼女が使っているデジタル以前の機械を見ていると、機械でありながらなぜか人間味があり、懐かしいという不思議な感情が生まれる。デジタル以前という事がミソである。

まさにサクラは、そういったアナログ時代の人間であり、素朴で真っすぐな姿に、理由もなく頑張れ!と応援したくなる。少し前、甲子園で話題となった秋田県立金足農業高校を抱いた気持ち似ている。

サクラの行動は、空気を読まないと選択したものではなく、自然体で空気を読んでいない。

 

一方

結婚できない男の桑野信介は、空気を読まないことを選択し、生きている。

「結婚しない」事も、人間関係は煩わしく、周りを気にしない生き方が最高であるという事から来ている。もっとも、本人は自らの意思で「しない!」と思っているが、実際は「出来ない」のである。

面白いのは、彼が建築家で家を設計しているということ。しかも非常に評価されている。

家というものの本質が内向きであり、外の世界(空気)と中にいる人を遮断するツールであることから、彼の外との空気を遮断して生きる性格が、プラスに働き、天職である。

また、彼の設計した家の評価が高いという事は、現代の多くの人が、煩わしい人間関係を遮断したいという意識がある事を意味する。

 

話を元に戻すと、

そんな「空気を読まない2つのタイプ」を我々は、見て。

共感したり、応援したり、憧れたり、あるいは滑稽と思って苦笑する。

 

2人を見て、桑名信介の方はコメディや諷刺のように素直に笑えるのに、サクラの方は、少し痛く、笑っていても物悲しい。

これを分けるのが、なにか?

たぶん、社内的な地位であり、(世の中に認められた)実力であろう。

桑名は、実力もあり、地位や名誉そしてお金もある。だから周りの者も彼の行動に、本心はどうあれ合わせていくことになる。まあいわば社長のわがままに似ている(苦笑)

一方 サクラは、新入社員。それでもって、入社式早々「なんでも意見があれば言ってくれ」という社長の言葉を真に受けて、社長のスピーチのダメ出しをして、周りの空気を凍らせる。

その後も同期や上司を巻き込んで、正論と信念で突き進む。

彼女に悪意はない。

ただ、不文律のルール(世の中の矛盾)というものを、その度破っていく。桑野のように、力があれば、それが新たなルールとなり、時代は変わるが、無力の者がそれをやると、その度に非常に大きな代償を個人が払う事になる。左遷あり。いじめあり。それを見ている我々は、胸が痛い。

しかし彼女が夢を語る時、胸が熱くなる。夢を真っすぐ見て、行動している彼女に勇気づけられる。それぞれに重ね合わせて。

 

時代という空気が大きく変わる時に、空気を読まない人が出て来て世の中を一気に次の時代に進ませる。ダビンチ、モネ、セザンヌ、ピカソ、マチス、モーツァルトなどなど。

自分を信じて、空気を読み過ぎるな!そして、ルールを変えられる実力を持て!

そして混乱の今の時代 忘れかけていた何かを2人に学んでいるような気がする。

 

今回の学び「さまざまなこと思い出す サクラかな」

 

おまけ

ああ、まだいた空気を読まない人 ドクターXの大門未知子、相棒の杉下右京!

 

 

ラグビー情景2

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勝負は勝ち負けというが、勝ち負けより圧倒的に心に刺さり、長く記憶されるものがある。それは一瞬一瞬の場面である。過去のオリンピックやワールドカップも勝ち負けより、シーンが鮮明に思い出される。

10年後、20年後、確かに初の初戦突破という「記録」は残るだろう。

しかし、それ以上に我々の心に強く残るのは、数々の代表選手たちの顔であり、世界の競合と力の限り戦った場面だろうと思う。

 

日本代表メンバーの面々を見ると、失礼ながらスポーツ選手というより、むしろ漁師や猟師に近い雰囲気がある。自分より大きな獲物に、ケガをいとわず食らいつき、命をかけて挑み続ける。「老人と海」に似た、お金や名誉など関係なく、自分のプライドをかけて戦い続ける英雄の顔である。

 

何かで読んだが、昨年は220日の合宿を行ったという。

考えてみれば月曜日から金曜日まで一年間合宿をやっていたようなもの。我々ビジネスパーソンがこんな合宿(ビジネス合宿)を行う事を考えると、精神的にも肉体的にも不可能ではないかと思う。

 

今回の出場チームのチームロゴが全て入った帽子(キャップ)を買った。帽子全体にピンバッチをつけているみたいで、デザイン的にはゴチャゴチャとうるさいが、その中で日本の桜ロゴが、すごく目立つ。デザイン、色的にも。

一見、ラグビーという戦闘的なイメージのスポーツに柔らかい、一件サンリオにもありそうなフェミニンなピンクの桜をデザインしたセンスが凄い。もう何十年も前のデザインと聞いている。

 

多くいる会社人間と全く違う側面を見せてくれる。だから我々は憧れるのだろう

彼らは、ヒラメのように上ばかり見ての行動はしない。

自分で判断し、実行する。言われた事だけやる選手は一人もいない。

自分はこれだけ努力しているから、認めて欲しいという選手も一人もいない。大会が始まる前、いや始まっても日本代表の快進撃が始まるまで、正直熱狂はなかった。それでも、代表選手たちは、人知れず努力を重ねてきた。誰に見てもらえなくても、自分たちのために、チームのために。

 

最後の試合 南アフリカとの一戦の後、選手たちは観客席にいた自分の子供達をフィールドに招き入れ、退場した。それを見て、改めて気づいた。そして驚いた。

彼らは自分よりはるかに年下だという事を。

 

生前の平尾さんとお会いしたことがある。只々、カッコいい人という事がいまだに印象に残っている。容姿は元より、生き方そのものがカッコいい。偉ぶらず、かといってからだの奥底から来る自信を感じた。もちろんフィジカルなタックルはされなかったが、心に強烈なタックルをされたような衝撃を受けた。

そして、ノーサイドの意味をレクチャーして頂いた。今も僕の心の宝物である。

ラグビー情景1

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誰かが、

サッカー選手は痛くないときに痛いフリをすることがある。

しかし、ラグビー選手は痛いときでも痛くないフリをする。

と言っていたのを思い出した。


ラグビー選手は、理不尽なことに対しても決して言い訳をせず受け入れるという。

耐え忍ぶ、これがラグビーの本質と感じる。

 

今年も、台風が日本をいじめたおす。

その中で、じっと耐えている人たちがいる。家族が被災し、家が流され、長い間停電、断水が続く中、耐え忍ぶ。

当社も被害を受けた。本当に理不尽である。しかし、その理不尽に立ち向かい、前に進むしかない。

 

そんな中、台風の翌日には日本とスコットランド戦が行われた。

開催を危ぶまれたが、大会を支える表に出ない方々の途方もない尽力で予定通り行われた。

組織委員会の方々は、少しでも対応が早く行えるよう、台風当日スタジアムに泊まり込んだという。試合では、圧倒的と言われた敵にもひるまず、勝つと信じ、最後の1分まで戦い続け勝利した。

 

今年、ワールドカップを日本で行えたこと、そして日本選手の活躍は、

災害の中でも耐え、戦い続ける日本人全体へのプレゼントではないかと思う。

全ての試合は、単なるスポーツ競技を超えた意味を感じる。

日本の代表チームに対する応援は、自分自身に対する応援であり、

理不尽な事に対する不屈の象徴であり、巨大な敵にも勝てるという希望である。

 

戦いはどれ一つとっても、楽ではない、耐えて耐えて勝利をもぎ取っている。その姿に日本中が感動し、自らを重ね合わせる。

 

頑張れニッポン、頑張れ日本人 そんな声が聞こえる。

今日も、自分たちの分身である日本代表チームに声の限り声援を送る!

彼らのために、そして自分のために!

 

今回の学び1

「ノーサイドという言葉は、日本語にも存在する。惻隠の情である。武士道である。」

井の中の蛙

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先日、本場の四川の「火鍋」を食べる機会があった。

ココイチの5辛はまあ普通、蒙古タンメンの「北極」もいけると、辛いものは比較的強いと自負していたが、全く自分のふがいなさを思い知らされた。

予想はしていたが、出てきた直径60cmほどの鍋は、ラー油一色!

なみなみと注がれたラー油に何も加えず何も引かず、いさぎよい。さあ、喰えるものなら喰ってみろと、鍋が笑っているように見える。

 

これだけで、辛いのものが苦手の人は、戦意喪失。しかし、辛さ岡山県代表(非公認)。

最強の世界チャンピョンに立ち向かう若い挑戦の如く、サノスに立ち向かうアベンジャーズのように、やる気満々。

火をかけて、グツグツ煮込むと大分県の血の池地獄を彷彿させる。先制攻撃、沸き立つラー油のせいか、目が痛くなる。

沸騰した地獄鍋に、肉や魚貝類を入れて、更に待つこと約2分。

 

いよいよ勝負の時は来た。ラー油の濃さで底が見えない中、闇鍋の如く、具をすくってお椀に入れ、見事にオレンジ色に変わった牛肉らしきものを、ラー油の滴るまま喰らい付く。

「うえっ!辛い。ホントに辛い!」

この一口で舌の感覚が麻痺し、体温が上がり、涙が出て、セキこむ。

八角、山椒、唐辛子連合の強烈パンチ。これは、日本人がまだ得意とするからしやワサビの辛さとは全く違う。

そして、5秒後に口の中に第二の波が来た。水、水、水!

水も見事にラー油味。

日本代表(非公認)、体制を整えて、再度チャレンジ!肉片を口に、

「うえっ辛い!」身体が拒否しているように、咳が止まらない。

これは、想像をはるかに超えている。

もうギブアップ寸前。

水を流し込みながら、今までの戦い(と言っても一ラウンドが始まって数十秒)を振り返る。

ほとんど辛さ以外の味覚は、オフとなっている中、山中のソフトバンクの如く、わずかにつながっている程度のうまみセンサーが稼働して、かすかにうまい。

最初に言ったが、もともと辛いものは好きで、更に腹も減っている。

リングに戻り、牛肉以外にイカとか、鶏肉、豚など試すが、みごとに同じ味。カレーの中の具みたいなもの。

「では」と、体制を整えようと、口直しに野菜を鍋に入れる。春菊や菜っ葉類。オレンジの鍋に鮮やかな緑が加わって色的には、キレイ!

さあ、食べよう。

辛さを和らげるため春菊を口いっぱいに、ほうばった!

即死!

今まで人生で食べた食事が走馬灯のように思い出される。

その中でダントツ一位に辛い!辛いという表現では、例えようがない。「痛い」も通り越している。あえて表現するなら「危ない」

(後で聞いたが、青野菜類は、ラー油スープがしみこむので肉の何倍も辛くなる)

一瞬で口から出したが、口の中だけではなく、頭からつま先まで辛さウイルスが一瞬で広がった感じ。

涙が止まらず、セキも止まらず、薄れゆく記憶の中で、周りを見ると中国人らしき家族の小学校低学年くらいの子供が、地獄鍋を表情一つ変えずに食べている。

「ああ、いままで、自分はなんて奢っていたのだろう。」

自分が、辛さに強いと思っていたのを速攻で取り消します。自分は本当に「井の中の蛙」でした。反省します!!

 

本場火鍋を食べて良かった!人に乗せられたり、褒められたりして、調子に乗った時には、本場の火鍋を食おう!そして自分の奢りを洗い流そう!人生の新たな師に出会った気がした。

 

今回の教訓「「つらい」と「からい」は、同じ漢字で「辛い」である。人生は、大変つらい時も、大変からい時も、同じように大きな学びがある。」

 

おまけ1 先日 ZOZOがヤフーに買収され前澤社長が2400億円ほど手にするというニュースが、日本中を駆け巡った時。飲んでいた友人らと考えた2400億円の価値。

この答えでその人の価値観が分かる。「あなたは、2400億円もらえるとしたら、あなたの大切な物、どこまで、何を捨てられますか?」

 

おまけ2

「凪のお暇」見ています。いい人、合わせる人がしわ寄せをくらうシーン続出で、非常に辛い。幸せに対する価値観、プライスレスとは?を毎回、考えさせらされる。

それにしても、黒木華は、上手い!「重版出来」でも激しく上手いと感心したが、めちゃくちゃ抑えた演技で、存在感が凄い。スーツで言うと無地の紺色で一件地味ながら、スーパー140という超繊細な糸で、何物にも負けない存在感を放っているよう!

大仏 シャンシャン

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知人が、「癒やされるぅ」と言って、よくシャンシャンの動画を送ってくれる。最初は何気なく見ていたが、何度か見ているうちにホント「癒やされるぅ」

 

シャンシャンの魅力は、なんといっても幼児とおっさんの両面を持っている事!

小さい時にシンシン(母親)の後を常に離れず、トコトコと愛らしく追いかけたり、飼育員の人の足に両手でしがみついて離そうとしないしぐさは、まさに幼児。かわいいの一言!

一方、最近の木に寄りかかりデーンと座する姿は、浴衣姿で座椅子に腰かけて、ナイター中継を見ている昭和のオヤジそのもの。もしくは、相撲部屋の親方。貫禄十分、ごっつさんです!

食事の姿も、笹の枝をわしづかみにして、満足するまで食べ続ける。その姿を見ていると幼稚園児が棒飴をしゃぶっているようにも見えるし、おっさんがするめに噛みちぎっているようにも見える。シャンシャンの片方の手にワンカップの酒がないのが物足らないくらいである(笑)

寝ている姿も天下泰平。面白いのは、幼児が鉄棒の前回りの途中で、おなかを鉄棒に掛けたように身体を2つ折りにして寝る。落っこちないかと見ている我々がハラハラするが、本人は無防備、無頓着。その姿は熟睡している赤ん坊だし、酔っぱらいオヤジが、着替えもせずにそのまま死んだように眠る姿に似ている。

 

話は、全く変わるが「般若心境」というものがある。一時、写経会等でブームとなったあれである。文字数260時余りのおそらく最少文字数の経典の一つ。

ルーツは、かの有名な西遊記の三蔵法師がインドから持ち帰ったありがたい経典と言われている。

この基本的な教えは、「色即是空 空疎是色」

超訳すれば「世の中には、絶対や永遠といったものはない。だから物事に固執するのは、愚かな事。世の中の形あるものは、実体のないものであり、逆に実体のないものにこそ本質がある。」といった意味だそうだ。

 

さらに本文を読み解くと

(我々みんな)赤ちゃんの頃

見える世界は、光り輝いていた。

花々や風の流れを楽しみ、そして口に入れるものは全てが美味だった。

夜は、死んだように眠り、朝起きると日々新しい人生や発見に感動した。

しかし、大人になるにつれ

多くの悩みを持ち、恐れ、不安、後悔に震えながら、現実に目を背けている。

しかし、目を見開き周りをみた時に、結局恐れるものは何もなかった事にきづく。

見えないものに怯えていたのは、利害、妄想、憎しみ、金などに惑わされた結果であり、

損得、勝ち負け、焦り、くだらない自尊心で判断していたからである。

その一切合切捨てた時に、人々は自由になれる。そして真の人になれる

 

と、書かれている(超訳をさらに「治山流」に、解釈しているので誤訳もあると思いますが)と読んだあと、はたと気づいた。

 

これってシャンシャンの生き方じゃないか!

堂々として、誰も恐れず、何も気にせず、眠たい時に寝て、起きたい時の起き、腹がへれば、一杯になるまでササを食べ続ける。決して慌てず、急がない。

 

夜は、死んだように眠り、朝起きると日々新しい人生や発見に感動した。

しかし、大人になるにつれ多くの悩みを持ち、恐れ、不安、後悔に震えながら、現実に目を背けている。

しかし、目を見開き周りをみた時に、結局恐れるものは何もなかった事にきづく。

見えないものに怯えていたのは、利害、妄想、憎しみ、金などに惑わされた結果であり、

損得、勝ち負け、焦り、くだらない自尊心で判断していたからである。

その一切合切捨てた時に、人々は自由になれる。そして真の人になれる

 

見える世界は、光り輝いて、

花々や風の流れを楽しみ、そして口に入れるものは全てが美味だった。

夜は死んだように眠り、朝起きると日々新しい人生や驚きに感動した。

悩みのなければ、恐れ、不安、後悔もない。

利害、妄想、憎しみ、金などにどこ吹く風である。

あるいは、損得、勝ち負け、焦り、くだらない自尊心もない。

自由に生きる。本当に生きる。

 

だから、我々を含め日本の全員が、彼のしぐさに癒やされるのかもしれない

シャンシャンは、この閉塞的な日本、世界をいやすために生まれた、大仏かもしれない。

日本にいるのも、残り1年くらいと聞く。一度日本にいる間に、シャンシャン巡礼をしたいものである。

 

おまけ1

日本に最初にパンダを持ってきたのも、モナ・リザを持ってきたのも田中角栄である。どこまで凄いんだ、この人は!

 

おまけ2

飛行機で、寝ていて着陸間際に目が覚めて、隣を何気に見ると若い女性がこっちを見て、満面の笑みで見ていた。なんで僕の顔を見て笑う?おもわず背筋が凍った。よく見ると耳にイヤホン。なにか面白い音楽でも聴いていたのであろうか?

 

今回の学び「白でもなく黒でもない、両方備わっているからパンダ、世の中もおなじなんだなぁ」「空気なんか読めない。空気には、文字もなければ、文字もない。見えない物を見ようとするから疲れる。力を抜いて空気を身体に取り込むのが正解」

決断3 30年ぶりの再会

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先日、以前いた会社の同期会があった。平成元年入社なので今年で30年、つまり30周年記念同期会であった。

30年前に、この会社で働こうと同じ「決断」をしたメンバーである。

 

9割ほどのメンバーが集まり、(まさに奇跡的)この上なく盛り上がった。

商社だけに、海外の同期からのビデオレターも、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中東と、まるで全世界中継のように、各国から届いた。

 

幹事たちが忙しい仕事時間を削って、さまざまな志向を凝らして、懐かしく、そして商社らしく少し下品な(笑)イベントで爆笑し、沸いた。

1次会、2次会、3次会・・といくら時間があっても、尽きない話で誰も帰りたくない、帰ろうとしない贅沢な時間を過ごすことが出来た。

 

実際、僕がこの会社に在籍したのは、5年間のみ。そのうち3年が海外なので実質的に、同期とは、2年しか時間を共にしていない。ましてや大阪と東京のダブル本社だったので、数回しか会ったことがない者もいる。

しかし幾多の研修や、寮生活で24時間苦楽を共にして、ほぼ全員が心から許しあえる友だった。何十年かぶりに会っても、全く変わらずお互いくだらない冗談を交えて、肩をたたきあえる。

当時の全ての思い出が年を経た分だけ、熟成ワインのように、より深く甘く、まろやかになった気がする。

 

30年間、会っていない間に、彼らも数多くの「決断」をしてきたのだろう。楽しい「決断」も辛い「決断」もあったと思う。その分だけ前進し、経験も年齢も、体重やしわが増え、そして人間としての深みが増した。

 

何十年かぶりに再会した友と交友を深めながら、本当にこの会社で働こうという「決断」をして良かった、このメンバーと出会えて良かった。

 

「決断」は、すぐに結果が出るものと、長い時間を経て、評価が決まるものがある。

彼らと再会して、そう思った。

 

おまけ:「同窓会でありがちな、昔の面影がみじんもない同期がいた。超絶太り。やつは、物資が少ない最貧国駐在が長かったはず、その国で何を食べていたんだろう?」。

先日来日していたトランプ大統領は、やはり凄いと言わざるを得ない。

何が凄いかというと賛否はともかく、彼は、とにかく「決断」の天才であろう。

TPPの脱退から始まり、中国との貿易戦争、イスラエルの首都移転、北朝鮮・イラン対応など、周り予想と全く反対の事でも平気で決断し、実行していく。

これは前回のブログ的に言うと、(彼自身も含めて)誰もやった事がない事ばかりか、アドバイス出来る人もいない。まさに彼だけで「決断」していると思う。これだけでも凄いが、さらに、とても真似できないと思うのが、人が絡んだ時である。

 

これも前回のブログ的に言うと、右脳系(感覚、感情)は、相手の気持ちを考えたり、風評を気にしていたら判断が鈍り、遅れる。

しかし、彼は躊躇なく「決断」する。

官僚の首のすげ替えも、周囲や相手の感情は意に返さず、圧倒的なスピードで断行する。

国境付近の移民問題の報道でも、悲惨な家族も映し出される。多くの子供たちを抱えて、非常に生存環境の厳しい国から逃れて助けを求めている人たちでさえ、一切考慮しない。

 

圧倒的にドライである。暴君的でもある。これがマスコミの格好の餌食となっている。

しかし、彼は怯まない。強い。

 

日本においても歴史的に偉人とされた人たちは、やはりこの強さを持っていた。

織田信長、秀吉は元より、情に厚いとされた人たちも、(例えば、西郷隆盛、武田信玄、大石内蔵助、渋沢栄一など)「決断」においては強さを持っていた。

 

振り返るに、僕自身まだまだ情に施されて、タイミングを逸する場面もあった。

トランプ大統領を見ながら、新時代は、自分自身を高めて、任された会社を盛り上げていくために、この強さ、この「決断」力を高める必要があると思う今日この頃である。

 

おまけ:ニュースで「中国で世界初の真っ白なパンダが見つかる!」よく見てみたら、白熊そっくり!フェイクニュース?

 

今日の学び:手持ちのトランプで「ドライ」というカードを持っていれば、それは最強の切り札となりえる。

決断について

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「生きる事」とは、「決断する事」である。

我々は「決断」を繰り返しながら生きている。そして前進している。

それは、結婚や就職といった、特段大きな「決断」だけではなく、例えば昼飯は何を食べようか、誰と食べようか?とか、今日はどのスーツを着ようか?会社に着いたらどの仕事から手を付けようか?というのも「決断」である。

 

同様に「経営」とは「決断」である。

これが個人の場合と比べて難しいのは、その「決断」の影響力が自分のみならず、回りに多大な影響を与えるからである。

だから経営者は悩む。

 

以前ブログに書いたドラマ「陸王」のこはぜ屋の社長もチャーチルも大いに悩んだ。

一方、「決断」出来なかったり先送りする経営者は、大変厄介というより、失格であると思っている。なぜならば、全てが止まるからである。

 

案件で、右脳(感覚・勘定)で「決断」する場合と左脳(理論)で「決断」する場合でどちらが難しいとかと言えば、圧倒的に右脳系である。

左脳系の分析による「決断」は、経営者レベルの決断でも将来AIに取って代わられると思う。一方右脳系の「決断」は、シンギュラリティを待たなければ機械では出来ない。

 

「決断」するための材料が多いと結論を出しやすいかと言えば、そうでもない。

これは、やたらメニューが多い昼の定食屋で迷うのと同様である。

現代社会で厄介なのは、情報量が質量共に多すぎる事、それがいとも簡単に手に入る事である。

 

では本当に迷った時どうすればいいのか?

それは、信頼する人に聞くことである。さらに、その人が、過去に同様の経験をしていると答えは早い。ベストは、自らが同様の体験を持つこと。これで「決断」が容易に、スピーディーになる。

経験豊かな経営者が、優れた「決断」をするのはこれである。我々も多くの経験を積み、優れた「決断」が出来る力を持ちたいと思う。

 

これで、終わるときれいなのだが、この問題はまだ終わらない。

ただし、時には、過去の経験(成功体験)が、改革に対する「決断」を鈍らせたり、間違った「決断」をする事もよくある。

うーん、どうすればいいか「決断」するのに、また悩む(苦笑)

 

今回 教科書的になったので、面白くない。次回以降もう少し具体的に話します。

 

おまけ1:令和の年号を決める時、見識者たちは本当に悩んだと思う。

令和の音は、「ヘイワ」に似ている。これも狙いでこの名前を付けたのであれば、そのセンスに脱帽!

 

おまけ2:令和で言葉遊びをしていて、上に「く」をつけてみた。「くれいわ」(暗れいわ!)

「つ」をつけると「辛れいわ!」とネガティブばかりになる。一番「重い」言葉をつけた時「重れいわ」=「面れいわ!」と明るくなった!

 

今回の学び:社長に就任した人に何を贈ればいいか迷ったら、迷わず「サイコロ」を送ろう。必ず喜ばれるはずである。

「平成最後のブログ」

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平成元年 大学を出て、商社に入社した。

世の中はバブルの真っただ中。狂乱が永遠に続くと思った。

当時20代前半。夢と希望がマックス。自分がおじさんになるとは夢にも思わなかった。

 

平成も始まったばかり。終わりの日など想像すらしなかった。

 

でも、バブルは入社3年目くらいで終わり、自分では今もまだおじさんだとは思っていないが(この世代は往生際が悪い(苦笑))白髪が目立ち、平成も終わる。

 

仰げば尊し、我が平成の恩。

幾多の天変地異があり、テロはいまだに続き、経済的には何度も崩壊、多くの修羅場もあった。

しかし、振り返ってみれば、おもしろく、良い時代だったと思う。

 

平成を振り返ろうとした時、

ふと大学の卒業の日を思い出した。昭和最後の年である。

大学4年間、田舎から上京し、見るもの聞くものすべてが刺激だらけ、何かしていないともったいないという気持ちが先行して、寝る間も惜しんで動き回った。

無駄に過ごした日もあったけど、当の本人はそんな事はみじんも思わず一日一日が120%の連続だった。

そして卒業式の日、やる事はやった!という充実感と、本当にあっという間だったな!と、友人との大学最後の飲み会で感慨に更けた。(BGMは、YaYa,あの時代を忘れない。)

 

今、大学時代を思い出すと様々な思い出が、ハイライトだけ果汁100%ジュースのように濃く濃縮される。続く社会人の時代も同様に、蒸留を重ねたウォッカのようだ。

そして、その2つが混ざり合って、ソルティドックのように、甘く塩辛い。

 

今日平成最後の日、平成に乾杯しよう!

ソルティドッグを飲みながら。

酒のつまみは、思い出だ。ミックスナッツやチョコのように、いろんな形、色とりどりの場面が甦る。その場面には、必ず人がいて、音楽があり、そして当時の空気がよみがえる。

鳥肌が立ち、赤面もし、そして口元が緩む。

時代に感謝し、そして全員に感謝し、カクテルを飲み干そう。

やっぱり、良い時代だったなぁ。

BGMは迷った。「乾杯」あるいは「SWEET MEMORIES」「夏の終わりのハーモニー」「Honesty 」「エンドレス・ラブ」「If we Hold on Together」「J.boy」「NO SIDE」「ボヘミアン・ラプソディ」選べない)

 

うーん、このカクテルとつまみは、下手をすると2日酔いになる気もするので、明日に尾を引かないように飲もう。

 

今回の学び「人は皆死ぬ、ならば目指すべきは、永遠に生きる事ではない、永遠に残るものを作る事だ。」(チャック・パラニューク)

 

おまけ

平成時代、CMで小倉優子さんに8年間お世話になった。

そして令和の5月から、小倉さんの10数年ぶりの復活の新CMが出ている。とても素敵です。時代は繰り返す。

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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