この秋のドラマ

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この秋のドラマで「ドクターX」や「恥逃げ」等話題であるが、僕の一押しは、なんて言ったって

木曜劇場「chef 三ツ星の給食」に尽きる!


主演:天海祐希。このキャスティングを見ただけでワクワクする。

古くは「BOSS」以来、良作、佳作、まあまあといろいろあるが、彼女ほど、画面から発せられる元気オーラの強い女優はいない。ドラマを見ているだけでクリニックでよくある「磁気治療器具」にかかったように元気になる。


今わが社は「着る健康」というテーマにストレス対策スーツ等の商品販売をしているが、女のドラマは、まさに「見る健康」である。

天海ドラマは、役と彼女の個性がぴたっとマッチした時、より強烈な磁気オーラが発せられるが今回のドラマは、文句なし!最大級のオーラドラマである。


元三ツ星のchefが給食のコックに。という異色な定だけでも面白いが、そこに悪役の三ツ星オーナーや、給食スタッフとの確執・絆。さらには三ツ星屋台の登場と。「天海」ではなく「冬の海」の如く荒れに荒れた展開を見せる。その渦の中心は常に天海祐希!こんな設定ありえない!などという人もいると思うが、ありえないのがドラマであって、「ドクターX」も「君の名は」の設定もあり得ないのは、お約束。

 

さらにこのドラマがおいしいのは、文字通り「料理番組」の一面もあるという事。毎回、本格フレンチを料理している姿が登場し、無性に食べたくなる。

最近は、中華やイタリアンのカジュアルさが受けて、本格フレンチに触れる機会が少し減ってきているご時世だが、やはり料理の王道はフレンチだと、再認識させてくれる。


ただ、残念なことに、このドラマそんなに視聴率が高くないと聞く。

実は、我々も同じような経験をよくする。自信を持って素晴らしい商品を作ったが、あまり売れず落ち込む。しかし、それでも諦めないで挑戦し続けた時に大ヒットが生まれる。視聴率も確かに大切ではあるが、どうぞ放送局の皆様、迷うことなく天海の「見る健康」ドラマを今後も作ってもらうことを祈るばかりである!

そのためにみんなで見ましょう。今からでも絶対面白いから。

 

今回の学び

「いいものと作っても世間は評価してくれないことがある。しかし、応援するファンは必ずいる!祐希(ゆうき)をもって前に進もう!」

イモトに学ぶ逆境の乗り越え方。

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「世界の果てまでイッテQ」という番組がある。

普段は、笑いが8割くらいの質のいいバラェティだが、年に一度イモトが世界最高峰の山を登る企画の時だけは、違う番組になる。

一度見ると分かるが、例えば、気軽に時代劇を見ていたつもりが、突然途中でガチンコ真剣で殺し合いが始まるようなものである。

 

最初見た時は衝撃だった。お笑いタレントがここまでやるか?というよりここまで出来るかというものだった。今回の企画も、本当に死と隣り合わせ、たった一歩足を踏み外せば、ほぼ間違いなく死ぬ。リアルに死ぬ。しかも、挑戦しているのはプロの登山家ではなく、いちお笑いタレントなのである。プロでも、命を落とすという山に毎年挑戦し続けて、成功させている。(マッキンリー(植村さんがなくなった)、マッターホルン、モンブランなどなど))

 

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録画してまだ見ていない方は、見た後で読んでください。結末が分かります。(著者注)

 

自分がやっているわけでもないのに鳥肌が立つ。

今回も多くのドラマがあったが、一番感動したのは、途中最大の難所での出来事。体力との闘いというより恐怖との闘い。ほぼ垂直の岩壁面と氷を自分の手と足だけで5時間以上も登る。足元は滑りやすく、実際何度も足を滑らせた。バンジージャンプやジェットコースターがいくら怖いといっても、命は保障されている。しかし登山は、失敗=死である。本当に怖いと思う。比較にもならないが、台風の中、都庁のてっぺんの外側を15センチほどの幅で歩き続けろというようなものかもしれない。いやもっとだろう。

 

話を戻すと、今まで世界中の難所を6つも制してきたイモトでさえ、足がすくんで一歩も、進めなくなった。場所は3500mを超えたところである。進むのも下がるのも出来ない。

体力も限界で、心が折れて、涙が止まらない。「助けて!」と叫ぼうが誰も助けてくれない。「ムリ!怖い!」を繰り返す。

周りのスタッフも助けることはできない。無理強いすることは死をも意味する。本人が気持ちを立て直して、登るしかない。

人が米粒のような、絶壁と強風の中で、全員が硬直状態。完全に気持ちが折れて、泣き顔で小さく丸まっていたイモトに、突然氷の小石が降りかかる。いくつもいくつも降りかかる。頭に当たる。痛い。痛い。どうして突然氷の小石が!と上を向くと、ガイドが上から投げている。「イタイイタイ!やめろやめろ!」ガイドはやめない。

イモトが叫ぶ、「痛いじゃないか!やめろ、何やってんだよ!」ガイドは笑いながら投げ続ける。そこでイモトの怒りは頂点。「ふざけるんじゃないよ!」

縮こまんでいた手足が再び動き出す。怒りのエネルギーが恐怖に勝ち。再び登り始める。「ふざけるな!」と叫びながら1時間30分以上登り始める。イモトの涙が止まったが、こちらの涙は止まらなかった。

そして、最後、刃物の先と言われる平均台のように前の人を歩いた足跡から少しでも外れると氷河まで転落するルートを緊張を持って歩き続け、スタートから約6時間 登頂! 本当に感動した!

そして学んだ。

人間、最後の最後では、感情が勝る!

いくら言い聞かせて、納得させるよりも、あるいは論理的に納得させようとしても感情の方が強い。

心理的に、どうしようない状態の時、特に短期間の場合は「怒りは最大のパワーになる。」これを改めて教えてもらった。


今回の学び 「人間 新の逆境の際、「論理」より「怒り」のパワーの方が勝る!」

アニサキス事件

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たいてい事件は突如として起こる。

明日から一週間の海外出張を控えた取締役会の真っただ中に、その事件は起こった。

 

急におなかを針で刺されるような激痛。

「痛っ。」しかしそれは、すぐに消えた。のもつかの間、安心しているとすぐに次が襲ってくる。いてもたってもたまらず、顔見知りで近くの内科に飛び込んだ。

待っている間も顔をしかめている様子を見て、看護婦さん、先生が慌てて診断してくれた。聴診器やおなかをさすつても分からない。内臓が腫れている様子もない。先生も明日からの海外という事を知り、「何が何でも原因を見つけないと」と、尿検査、血液検査、エコーと次々の検査をしてくれた。

しかし、原因はわからない。その間激痛は続く。どうなることやら・・。

 

それではと、急きょ、知り合いの病院に問い合わせをしてくれて、CI等の検査をしてもうことに。明日からの出張の事がちらつく、全てのスケジュールの手配の段取りが終わっており、変更もきかず、もし行けないと多大な迷惑がかかる。

 

元来僕は相当運がよく、こういったピンチの折は(今までピンチに比べたら、今回は大したことないが)大抵スルッとうまく行ってきた。

又、やばくなりかけると別プランを立てる事で、精神的も余裕が生まれ、そのプランを実行することなく、くぐり抜けてきた。

ただ、今回は身体の事なので別プランも何もない。超楽天家の僕も「今回は、やめかな?」と思いながら病院を移った。

 CIに続き、胃カメラも実施してくれることに。

 

結論から言えば、「アニサキス」という線状の回虫が原因であった。

わずか2cmほどの白いミミズの細い回虫が、胃の中を這いまわり胃の膜をかみまくる。痛そうでしょう?

胃カメラの麻酔から覚めて、先生が「これでした。」とアンモニア漬けした白い虫を見せてもらった時、気持ち悪い!の一言!――記念にもらいました(笑)

前日のバッテラが悪かったらしい。バッテラにその虫がいて、そのまま食べて、胃でも死なずに活動したらしい。イカもやばく、イカそうめんや糸切りもその対策らしい。

前日良く行く居酒屋に社員と行って大当たり!社員は全くOK.

この手の当たりは、いりませんなあ!(苦笑)

結局それを取り除くと、数時間後には嘘のように痛みは消えて、無事に次の日は海外に!

今回改めて思ったこと。

① 本当にお医者さんには感謝感謝です。 

② 結果オーライで、運がいいのか悪いのか? 

③ 豊洲問題に揺れる東京都ですが、健康と食の安全は最優先だと。 

 

今回の学び 

「上司からの指示とバッテラは、良くかみ砕いて飲み込むこと!そうすれば、大事には至らず!」

 

おまけ  やっぱり一寸法師におなかを針でつつかれた鬼は、死ぬほどいたかったのだろう。これでは降参やむなしだよな。

 

おまけ2 飛行機で「シビルウォー」を見た。その中でアントマン(1.5cmの正義の味方)の活躍に複雑な心境。

 

食欲の秋 みなさんもお気をつけて。

 さて、このど素人の絵画鑑賞を締めくくるにあたり、一つとてつもない本をご紹介する。

先ごろ亡くなった大橋巨泉さんの美術評論の本である(全五巻)

65歳から西洋美術にはまり、人生の最晩年の軌跡として我々に残してくれたのがこの本である。

本当に、素晴らしい。


癌に侵され、白内障による視覚障害と闘いながら、2007年から4年に渡り書き上げた言わば遺言となるような著書である。

ルネッサンスからモダンアートまでの膨大な絵画を、ご自身で全て体験され、それを本にした。時間と財力とあくなき好奇心、そしてそれを明確に伝える表現力がなければ存在しえない奇跡のような本である。この5冊さえ読めばルネッサンス以降の絵画のすべてが分かるといえば言い過ぎか?


僕が非常に刺さったのは2点。

1. 実際に絵画を見て口に出している。とにかく感じたままを書き、自分が感じなかったことは書かないということを徹底している。(「羽の生えた人を見たことがないから天使は描かない」と言ったクールベのような写実主義である。)

2. 各絵画における表現において、その画家の生い立ちが非常に関係しているとして、その生涯を非常に分かりやすく説明している点である。確かに、その人の生い立ちを振り返って見るとその人がどういう表現に行きついたか。そしてその作品は結果的どうなったかが手に取るように分かる。

(目に見える表面的なものではなく、内面までも映し出したゴヤのようなロマン主義でもある。――といったこともこの本を読むと容易に言えるようになる(笑))


さて、5巻の全てを紹介するわけにはいかないが、とにかく最後の巻の初めにセザンヌ編だけ読んでも分かる。こんなにセザンヌを酷評した人は、当時のサロンの人以外にいないのではないか?

実は僕もセザンヌに対しては全く同意見である。とにかく巨匠という事で無理やり自分の納得させてきたが、この本と出会い、長年の溜飲が落ちた気がした。

僕的にはセザンヌは画家として決してうまくない。(あくまでど素人の意見です。)

さらに右脳では全く反応しない。のちの影響を考えて巨匠巨匠と言われて、無理やりすごいんだろうな!と自分に嘘をついてきた。しかし、実際は、美術館でも素通りしたい画家である。


実はこういったことは良くある。巨匠と言われて自分の感じた事と別のことを口に出す。自分自身に嘘をつく。あるいは自分の感覚より世間の評判を信じる。これは全くの間違いで、特に嗜好品は100人いたら100人の感じ方があって当たり前で、一番大事なことは、自分に素直になること。自分の感覚を信じることだと巨泉さんに教えられた!!

本当にありがとうございました!!

 

巨泉さん  お安らかに。合掌

 

今回の学び 「世間の評価よりも、自分の目と耳と心で感じたものこそが、真実」

このたび、ルノアールを「幸せの画家」として公認致します!

と言っても何の権限でもないのですが・・。

 

今、フランスが大変なことになっている。前回そして今回のテロにおいて犠牲を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げる、(このブログは7月に書きました。)

度重なるテロを受けて市民の心は、非常に沈んでいると思う。大好きな国だけに心が痛む。

今こそ、フランス人にはルノアールに触れてほしいと思う。このフランスの宝で一時でも、フランスの人たちが心穏やかになる事を祈る。

 

新国立美術館にて、ルノアール展に行ってきた。

 

1.最初と最後は「ルノアール」

日本人が好きな画家を3人上げろ言われると、大抵ルノアールは入るのではないか?

と言う私も、印象派の中で最初に好きになった画家の1人であった。

その後、いろんな画家に触れる機会を経てルノアールの絵がまろやかすぎて、少し刺激のある変わった画家に興味が移っていった。

そして今回のルノアール展。

やはり、ルノアールは良かった、よすぎて思わず画集を買ってしまった。(笑)

ちょうど、ディズニーランドに行って、刺激的あるいは最新のアトラクションを行きたおした後で、「やっぱり、しめは、イッツァ・スモールワールドだよね!」と思う感覚に近い。

最初と最後はルノアール。(決して喫茶店の話ではありません(笑))

 

2.無限大の幸せ「ムーラン.ド。ギャレットのブドウかい」

ルノアールを見ると、幸せな気分になる。これは誰もが感じる事であろう。

この作品も、柔らかい日差しの下で、陽気な仲間に囲まれ、美味しい酒を飲みながら、おしゃべりをする。これ以上の幸せがある?そんな絵である。

学生時代、立教大学のキャンパスでも良く見た風景だ。(酒はなかったが)

結婚式のスピーチのベタネタに、「ベターハーフ」と言うのがある。(ベタを掛けました(苦笑)) 「不幸は二人で分けると半分に、幸せは二人で足すと倍に。」と言うあれである。この絵の何百人もいるであろう人の表情は全て優しく、笑っている。この絵は、そういう意味では、幸せの連鎖、無限大である。

 

いつも通り、まだまだ続く

3.ルノアールのラブレター「田舎のダンス」と「都会のダンス」

両作品とも縦2m弱、横1mもあろうかという大迫力の作品である。

どちらの絵が好きかは、議論の分かれるところであるが、僕は田舎のダンスに魅かれる。

「都会のダンス」は、ドレスの女性の緊張が伝わって来るようで、こちらも少し構え

一方「田舎のダンス」は、本当に見ていると思わず顔がゆるんでくる。おめかしした

衣装であるが、なぜがバタ臭い。(大阪あたりで良く見かける(笑))

しかし、この女性の表情は、圧倒的に嬉し楽しそうである。(これも大阪あたりでよく見かける)

この「田舎のダンス」のモデルは、ルノアールの生涯の伴侶とのこと。ルノアールは、

彼女に対するありったけの思いを込めてこの絵を描いたと思う。これは、「あなたが好きです!大好きです!」と言うルノアールのラブレターでもある。

 

4.熱く!ではなく、温かくなるのが幸せ「ピアノを弾く少女たち」

ルノアールの絵を見ていると、心が少し温かくなる気がする。

こんな人、周りにいませんか?その人と会うだけで、ほんわかと幸せな気分になる。

そう「トトロ」のような人。決して激しさによるエネルギーではなく、温かさによるエネルギー。

ぐいぐい引っ張っていく上司もいいが、職場の雰囲気を温かくする。そんな上司が周りにいたら最高ですよね!

「ピアノを弾く少女」を見た時、部屋の雰囲気が、パッと明るくなるだけではなく、温度さえも少し上がった気がした。

ゴッホやルーベンスなど会場が明るくなる画家はいても、温度まで上がる画家は少ない。

ルノアールは、暖炉のような温かさである。

 

5.木から板をつるしただけ、それだけで人は幸せになれる「ブランコ」

幸せは特別な事ではない、当たり前の事が幸せなんだ。海外の悲惨なニュースを見るたびに日常の幸せを感じる。そんな作品の一つが、この作品。

日常のなにげない瞬間を切り取っている。このブランコに乗っているのは子供ではなく大人、それが本当に楽しそう。ハイジのように楽しそう。

(以前にも書いたが)ガラヴァッツォは、劇的な瞬間をドラマチックに表現した、ルノアールも同様である。しかし両者の間には決定的な差がある。ガラヴァッツォは、闇の部分を切り取ったのに対して、ルノアールは、幸せの瞬間を切り取っている。

彼が切り取った幸せな一コマは、それを見る人を全ての人を幸せな気分にしてくれる。

さて、今全米で「ポケモンGO」が大人気と言う。モバイルホンで日常の景色をカメラで撮ると、そこにポケモンが写り、それをゲットするゲームだという。

そう、僕らの周りに、どこにでもポケモンがいるように、どこにでも幸せはある。

 

6.「道化師(ココの肖像)」やっぱり年を取ってからの子供はかわいいんだな。

自分の子供に対しての絵は、又特別で画面にはみ出るぐらい愛情があふれている。

「ガブリエルとジャン」何かおもちゃで遊んでいるその絵は、昔小田和正の歌にのっけて明治生命がやっていた家族の愛情写真キャンペーンを彷彿させる。

そして、とくに、60歳の時に生まれた三男のココ(ふつう孫じゃん!ただ最近73さんにしてパパになったミックジャガーには負ける(笑))対しては、90点を超える作品を残しているらしい。

もうかわいくてかわいくてしょうがないのだろう。丁度 じいちゃんが孫を溺愛して、何枚も何枚も写真を取るように。描いているほうも、描かれているほうも両方幸せであったんだろうなぁという情景が目に浮かぶ。

 

7.フォーエル(当社がやっているビッグサイズ専門店)万歳!ぼっちゃり美人は、

女神である「横たわる裸婦」

最近 男も女もとにかく、やせなければ!と強迫観念に追いまくられているのを目にする。見た目充分細いのに、もっとやせたいもっとやせたいと10人いれば10人いう。そんな人たちは、ぜひルノアールを見てほしい。2段腹、3段腹がなんて美しいのだろうか?ミロのビーナスもぽっちゃり系。そこには生命の強さと輝きが見える。

命名 ぼっちゃり系=ルノアール美人。

「あなたはルノアールに似てるね?」こう言われて怒る女性はいない。ルノアール美人を流行らせよう。

 

8.宮崎駿作品のヒロインのような「ジュリー・マネ (猫を抱く子供)」

この作品は他のルノアール作品とは、明らかにタッチが違う。ド素人の僕にでもわかる。

特にこの中の猫なんて、少女マンガに出来てるような猫である。それを抱えている少女も、宮崎駿作品のヒロインみたいに凛としている。

この作品には物語がある。

マネとは、かのマネの弟の子供。この少女がまだ若い時に両親が亡くなり、ルノアールは後見人として育てた。愛情の物語である。

生前、両親が頼んでルノアールが描いたというこの作品。これをジュリーは生涯手元に置いていたという。絵とは時として両親の代わりとして心の支えにさえなる。

「絵は見るものではなく、一緒に生きるものだ。」ルノアール 

 

ファイナルに向けて、もう少しつづく。


9.「浴女たち」 ミッションとは、辛く、悲しく、そして覚悟が必要な事である。

いつまでもルノアールワールドに浸っていたいが、そろそろ皆さんも飽きてきたと思うし、紙面の都合もあるので、これを最後にする。(笑)

 

「浴女たち」 ルノアールの幸せの情景。ここに極まり!

芝生に横たわっている女性を見ていると、雲の上に浮かんでいるようであり、極楽のようでもある。

ルノアールの真骨頂は、最晩年に表れている。

ルノアールが生涯をかけて、幸せとはなにか?を探り続けて行きついたのが、この作品のような気がする。

それは、「裸婦」であり、「明るい色遣い」であり、そして「親しい人とのなにげないひと時」である。この作品は、それが全部のせ!である。

まず、キャンパスの真ん中にウルフギャングのステーキのようにドーンと2枚、失礼、2体の裸婦が横たわっている。すごい迫力である。色遣いも「幸せの色」を定義すると多分こういう色なんだろうと思う色で描かれている。表情は、夢見る少女とそれを楽しそうに聞く友達。楽しいおしゃべりはずっと続きそうである。幸せ度MAX!

 

しかし、この作品をルノアールは不幸のどん底で描いた。

自身はリウマチの為に絵筆が持てず、腕にくくり付けて描いたという。また最愛の妻を失い、あの愛情の絵の子供も戦争で負傷して帰ってきている。

そんな最悪の環境の中で、最高に幸せな絵を描いている。

モーツァルトが最晩年病気に悩み、貧困の中で書いた、こんかぎり美しいメロディ「ピアノ協奏曲27」を彷彿させる。

 

なぜ、真の芸術家たちは、どんなに苦しい環境の中でも、それをおくびにもださず、素晴らしい作品を作れるのであろうか?

それに答えるように、ルノアールの言葉がある「最善を尽くすまで、死ぬわけにはいかない」   泣ける。

締めくくりに、ルノアールの言葉を

今回の学び 「芸術が愛らしいものであって、なんでいけないんだ。世の中は不愉快な事ばかりじゃないか!」

 

終わり


追伸

岡山の大原美術館を作る際、大原孫三郎の命を受け大変大きな役割しめした画家に児島虎次郎がいる。彼のやさしさの絵は、ルノアールにとても似ている。彼を日本の「幸せの画家」第一号として公認します。岡山に行った際にはぜひとも触れてください!
第二部

カラヴァッジョ展でのメモ

第一部では絵の感想は、なかったので、第二部で感じた事を書く。いつものようにド素人の勘違い感想と思って読み飛ばしてください。(あくまで個人メモレベルなので)

 

0.「バロック」――辞書で調べると、ポルトガル語で「ゆがんだ真珠」の意。均整のとれたルネッサンス美術に比較して、自由かつ不規則でグロテスクな装飾過剰ともいえる様式。


1. バロックの中心人物。カラヴァッジョの仲間――ルーベンス、エルグレコ、ベラスケスなど、重く神聖で、高そう。


2. カラヴァッジョの功績として闇――それまでの宗教画の全て光。闇は存在しない。しかし現実の世の中には闇がある。この切口は、彼の心の闇がなしえた功績だろう。


3. カラヴァッジョ作品について

「バッカス」――ぽっちゃり感、半裸体が非常にリアル。彼自身男女共に趣味だったのではないかと想像させる。


4.「果物籠を持つ少年」――この少年の表情も怪しいが、この絵では、主役は果物。リンゴは手に取って食べたいほどのリアリティ、ブドウもみずみずしい。面白いのは、果物はピントが合っているのに、人物はピントがぼけている。へたくそな写真のよう。しかし、それも果物に目が行くように、計算された手法。恐るべし。


5.「メドゥーサ」の盾は、素晴らしい。闇の浮かぶ鬼気迫る表情は、400年経た今でもとびかかってきそう。お化け屋敷でかかっていたら怖いだろうなぁ。絵の力によって、相手をひるまさせる力がある。さすがはメディチ家が所有するほどの名画。


6.「ナルキッソス」は凄くいい!――ナルシストの語源の神。水に映った自分の姿にキスをしようとする彼は、舞台の一場面を見ているよう。


7. 逃亡前と逃亡中は絵筆の繊細さが違う――「エマオの晩餐」を描いた時は追われている身、とにかく急いでいるのか?実にシンプルに描いている。この荒さもすごくいい。最低限で最大の効果。装飾過剰はバロックの特徴ではあるが、出来るだけいらないものを除いて描いた絵の方がいい。ルーベンスは、盛り込み過ぎ傾向だろう。


8.「トカゲにかまれる少年」――指の描き方で、カラヴァッジョ派の上手い、ヘタが見える気がする。この作品の指! 「痛っ」と口以上に手がしゃべっている。


9. リベーラ、パリオーニ、マンフレディ、ホンホレスト、ラトゥールなどがカラヴァチェスキ、フランチェコツエリユリの中では良かった。しかしあまり知らない。


10. 誰かが書いた「彼の肖像画」――現代の指名手配のポスターに出てもおかしくない。顔に人柄は出るなぁ。


11. とにかくこの画家は、「絵画とは理想的な情景を描くものである。」ということを徹底否定する。――あくまで現実のこだわり、巡礼者の汚い足の裏もリアルに。描いている最中の静物のグラスに売った自分の姿さえ描く。


12. 今回「法悦のマグラダのマリア」が、見れただけでも良かった。マグダラのマリアが、神と一体となり昇天する直前の恍惚の表情が、すさまじい。半分腐りかかっているような、肌の色に、白目をむいた眼からは、一筋の涙がこぼれている。400年封印されていたこの作品が、今回の見れたのは本当にラッキーであった。400年の間の人々はさぞや見たかったであろう。


残念な事に、この絵は個人の持ち物らしい。次回はいつ見えるのだろう。まさにカラヴァッジョ同様、闇に消えるがごとく封印の作品である。


5. カラ:そして、ついにその日が来る。いさかいの末に殺人を犯してしまう。ここにおいて完全にダークサイドが彼を支配した。ローマ教皇の判決は、見つけ次第死刑執行(誰が殺してもよい)。ローマからナポリに逃げる。

だが、捨てる神があれば、拾う神あり。ここでも彼の才能をみとめた地元の大物に保護される。この大物の保護の元、数々の作品を残す。その作品には必ず影が付きまとう。マリアの死の瞬間を描いた「法悦のマグダラのマリア」もこの時代の作品。

アナ:彼もついに一線を越える。元老院の殺害に手を貸すのみか、ジェダイの子供たちらも虐殺。そして逃亡、それからは暗黒教ダース・シディアスの保護の元。数々の破壊を繰り返す。そして、彼の最大の理解者と言えるマリアならぬ、「パドメ」が死ぬ。

 

6. カラ:ダークサイドに全てを食いつぶされたと思いきや、わずかなライトサイドは残っていた。彼は、真人間になりローマに戻る希望を捨てきれず、恩赦を求めてマルタ騎士団としりあい、(聖なる)騎士団の一員となる。

ダースベイダー(アナキン):完全に悪の帝王となり、銀河帝国の暗黒卿となった彼も、息子のルーク・スカイウォーカーと再会した際に、わずかな良心を見せ動揺する。

 

7. カラ:努力の末、ようやく入会を認めてもらった騎士団だったが、数か月後、騎士団の1人を半殺しにして投獄、その後脱獄し、シチニア経由でナポリに居たところに、騎士団にみつかり、復讐を受け重体。

 

8. カラ:奇跡的な回復を受け、ようやく恩赦が認められるということを聞いてローマに向かう最中にのたれ死ぬ。37歳

ダースベイダー:死の直前にダースベイダーはアナキンに戻り、息子のルークに「お前は、私を救ってくれた。」と言って息を引き取る。

  

その後

9. カラヴァッジョが、その死まで手元に置いてあった作品は、「法悦のマグダラのマリア」であった。――この作品はすごい。僕的には、ダビンチの「モナリザ」や、フェリメールの「真珠の耳飾りの少女」と同じ位のインパクトで、まさにダークサイドの「モナリザ」と感じた!そのリアル感、圧倒的に迫力は、この2つの絵を凌ぐほどであった。

この作品を見て、死ぬまで、彼が手放さなかったのは、マリアこそが、彼の中でわずかに残ったライトサイド(良心)のより所ではなかったのかと思う。

ちょうど、ダースベイダーの心に常にパドメがいたように。

 

第一部終了 

ド素人の絵画展2 17世紀のダースベイダー カラヴァッジョ展

 

カラヴァッジョ展、そこは美術館と言うより映画館の様だった。

会場の奥の壁には、スクリーンのかわりに一つの絵が掲げてある。

画中の女スリは、今まさに金持ちのぼんぼんから財布を盗もうとしている。その一瞬がまるでヒッチコックの映画のワンシーンのように描かれている。凄くリアリティを感じるが、一方、何でこんな題材を、選んだのかが気になった。

 

画家の名はカラヴァッジョ。

今話題のEU統一紙幣以前のイタリアの最高額紙幣の肖像として使用されていたらしい。(日本で言えば福沢諭吉)驚くべきは、かのダビンチやミケランジェロを押さえてである。その栄光とはうらはらに、彼の人生は、黄金色よりむしろ血に塗られている。

誰もが羨む才能を持ちながら、それをコントロールしきれず破滅へと落ちていった。常に、ダークサイドとライトサイドを行き来した。

誰かに似ていないか?そう彼は17世紀の「ダースベイダ―」である。

彼の驚くべき人生をダースベイダーと比較してみると、


1.      青年カラヴァッジョ: ミラノからローマに出て来て、極貧生活をしていた彼に大きなチャンスが訪れる。ローマ教会の枢機候(デルモンテ)のパトロンがついたのだ!

 

少年アナキン・スカイウォカー(後のダースベイダー): 砂漠の惑星タトゥイーンで、奴隷の子として暮らしていた彼は、後の師匠になるオビワンに拾われて、惑星を脱出する。

 

2.      カラヴァッジョ: この枢機卿の下、最高の環境の中でひたすら作品に取り組む。この数年で現代まで残る作品を数多く残した。その中の「聖マタイの召命」では窓からの聖なる光を描く。この光こそが、神の啓示の如く、後の画家に多くの影響を与えることとなる。

 

アナキン:オビワンの下、ひたすら修行にはげみ、ジェダイとして大きな才能を開花させた。ある時は、師匠のオビワンさえ上回る活躍をし、帝国の危機を何度も救った。

このころが彼らの絶頂期だったであろう。

 

3.      カラ: 一方、その絶頂期において、たった2日で祭壇からはずされた作品があった。それを指示した司教は、その絵を見て「すぐれた技術を持つ画家の作品かもしれないが、その画家の心は邪悪で善行や礼拝などといった信仰心のかけらもないに違いない。」と言ったという。

 

アナ:彼の能力に対する賞賛の中、ヨーダのみが、彼の中にある深いダークサイドの存在を指摘する。

 

4.      カラ:やがて、彼の生活はどんどん荒れていく。傷害事件も数多く起こすようになり、作品の美しさと反比例して、絵筆よりナイフを持っていた時間が多かったという、ライトサイドが、強くなればなるほどダークサイドが広がっていく。

 

アナ:ジェダイの修行のさなか、大きな力を持った彼は、その力を復讐の為に使ってしまう。母を殺したサンドピープルを女子供構わず皆殺しにする。その残虐さは、後のダースベイダーを見るようである。

 

そして、ついにその日が来る。  

続きは次回。

しつこく続く(苦笑)

さて後半戦です。ひきつづき推理しながら、お進みください。

 

6.      セザンヌのように

セザンヌは、自然の全てを「球と三角錐と三角柱」で表現しようとしたと言われる。まさに記号化である。

日本には、庭山水という世界にどこにもない表現方法がある。禅寺などはよく見かけるあれである。

日本人は、壮大な実際の山や川を、庭と言う限られた空間の中で表現した、いわば自然のジオラマである。自然をジオラマ化するには、切り取り、簡略化、記号化(アイコン)が欠かせない。

それと同じ表現が広重作品にあった。

風景を、大胆に簡略化、記号化している。先ほどのデフォルメと相まって「間違えようのない分かり易い」名所という世界がここにある!

余談だが、実は日本人はこの記号化がお家芸である。家紋はもちろん、最近のLINEのスタンプなども感情の表現をよくまあこんなに簡潔に記号化していると感動すらする。

7.      ゴッホ、ルソーのように

今回の展示会を見て最初に感じたのは、その色の鮮やかなこと。とても100年以上前の色ではない。この驚きは、ゴッホやルソーを見た時に感じた絵自体が発光しているように色鮮やかである。色が、どんどん迫ってくる。

特に赤が活きている。この赤により絵がピリッと締って見える。丁度、うどんに入れた七味のように、

 

8.      ピカソのように

ピカソは2次元のキャンパス上でいかに3次元を表現できないかチャレンジして、あの訳わからない絵にたどり着いたという。

広重の鳴門の渦や銚子の海の絵をじっと見てみる。不思議不思議、波が動き出す。

これは、北斎の富嶽三十六景の神奈川沖浪裏でも同じである。2次元でありながら、異様な立体感がある。この波に吸い込まれる感覚に襲われる。以前、カナダでナイアガラの滝を見た時と同じ印象を持つレベルだから恐ろしい。

さらに、見えないものまで、立体化して体験させる。例えば風の見える化「美作 山伏谷」。しんと静まり返った音の見える化「永代橋 佃しま」花火の音も「両国花火」さらには、竹藪の臭いさえも「庄野」

 

9.      マチスのように

実際の色ではなく、目に見える色をイメージに置き換え、色の縛りから解放してくれる。

現実の世界は無限の色で満ち溢れている。それを、絵画で表現する時は限られた絵具の色で再現しなくてはならない。浮世絵のように、版画絵になると使える色がさらに限定されてくる。大変だったと思う。その少ない色数で自然を再現する。そこでは、人並み外れた判断力が試される。現実とイメージの色がバチッとマッチした時、絵を見た後の風景が、その色には思えなくなるから不思議である。

10.      ミロのように

ミロを見ろ!ではなく(苦笑)ミロは考えるものだと思う。最初見た時は、何だこれは?という歯牙にもかけないで通り過ぎた。しかし、よくよく解説を聞いてみると、全ての線、全ての図形がそれ以上でもそれ以下でもない位、切り落とされてあの絵になっているらしい。感情で描くのではなく、知性で組み立てるという感じである。

さて、東海道五十三次の構図には驚く。例えば新幹線は横長の絵で表現した方が、楽である。しかし、広重はそのような普通を嫌い、徹底的に計算しつくして、違和感なく魅力的に描いている。

手帳の下絵を見ると、「天橋立」は当然、横長のページにはみ出すくらい描いてあった。それをなんと縦の構図を直して、実物よりも実物近くにしている。横でしか表現でいないはずの「丹後 天の橋立」の構図には心底驚いた。

 

ここまで、続けてきた戯言にお付き合い頂き、ありがとうございます。

みなさん、浮世絵がなぜすごいか?僕なりの「答え」が分かったでしょうか?

 

それでは、答えの発表です。ジャン!

 

答えは...(だましてすみません、)10どれも×です。

結局は、最初にお話しました通り、絵画ド素人が、小賢しくどこかでかじった知識をもっともらしく語ってきたことがで、「浮世絵の凄さが表現できるわけがない!」というのが結論です。

上記の戯言は、浮世絵鑑賞において全く無駄と分かりました(苦笑)。すみません。

絵画は、やはり理屈ではなく、感覚で感じさえすればそれでOKと言うのが答えです。

 

お付き合い頂いた方、申し訳ございません。

ド素人は、ド素人らしくただ味わい感動すればいい!というのが今回のブログの結論です(苦笑)

料理も、音楽も、同様で小賢しい解説はいらないから、早く食べさせろ!早く見せろ、聞かせれろ!が、答えかなと思います。

 

最後に蛇足を。

 

なぜこれほどすごい浮世絵が、長年日本では正当な評価を受けず、ほとんどが西洋に流出したのか?それは、実は身近すぎてその偉大さが分からなかったのではないか?丁度本当に凄い人を家族に持った者は、当たり前すぎてその凄さが分からなくなるように。

アインシュタインもジョブズも坂本竜馬なども、周りが騒ぐからすごい人だと思うけれど、

身内から見ると実は単なる変人さだけが、際立って見えたのではないか?

 

そういえば、僕の事も身内はあまり評価してくれていない気がする。ということは、実は偉大なのでは?というのは冗談だが(笑)ただ、冷静に見ると周りも評価してないような気もするのでやっぱり凡人(笑)

話を元に戻すと、当社でも身近すぎて、その能力をちゃんと評価できていない人もいると思う。

固定観念を捨てて、もっと本質を見て評価しようと、これもまた広重に教えられました。

前回の続きです。すでに、飽きた人は、答えだけを。

もう少し付き合ってもいいと思う方は、ひき続き、これら10のうちどれか?

僕なりの浮世絵のすごさの「答え」を推理しながらお読みください。


1.      江戸時代のグーグルアース

現代の我々はグーグルアースを使って、居ながらにして世界を旅できる。広重の絵がまさにこれ!

この時代の人々は、今以上に旅するのに苦労したと思う。実際ほぼ不可能だったのではないか?もちろんテレビもネットも写真さえない。そんな中、広重の浮世絵を見て、自分が実際に旅をしている気になったのではないか?東海道、富士山、江戸の名所など。我々でさえ、このたったA3大の小さな絵をじっと見ていると、その場にいるような気になる。恐れ入る。

さらに凄いのが、ズームもワイドも自由自在。遠くで全体図を見ていると思えば、ズームしてその橋に立っているような絵もある。

さらにさらに、それだけでは終わらない。目線の高ささえも。鷹の目線のように空からだと思っていたら、一気に下りて虫や犬の目線になる。人々が、その風景でどこが一番見たいかをまるで、知っているかのような描き方をしている。

まさにグーグルアース!

極めつけは驚くなかれ、もはやグーグルアースを超える!

広重は、グーグルアースでも出来ない事さえ、簡単に行っている。

それは・・。デフォルメ。強烈なデフォルメ。

例えば富士山。こんなにとがっていた?など関係ない。解説などいらなくて、誰がどう見ても富士山である。

特徴をとらえてデフォルメは、浮世絵の真骨頂。役者絵など、その最たるもの。似顔絵や、形態模写は、本人以上の本人と分かる。はやりのAI(人口知能)による顔認証など百年以上前からやっている。

 

2.      ファンアイクのように

ゲントで「神秘の仔羊」を見た時にその精密度合いにド肝を抜かれたが。広重の絵にもそれを感じた。細かい草花、髪の毛、人間はここまで緻密になれるのか?しかも筆で。しかもしかも、浮世絵はこれで終わりではない。彫師もこの胃が痛くなるような作業をしていたなんて気が遠くなる。どこまで細かいのだ!

3.      ブリューゲルのように

ブリューゲルが、市井の人を題材にしてその時代の人々の暮らしを描いたのに似て、

広重の浮世絵にも、ほとんどの場合、人々がいる。笑って、泣いて、驚いて、困って、登場人物も魚屋、商人、遊女などなど。リアル時代劇を見ているようで、その時代のにおいさえ感じる

4.      マネのように

構図が凄い、一瞬にして目を引かれる。そのために、物体の一部しか描かないことなどザラ。顔の半分や、亀、荷車なども大胆に切っている。

この大胆さはどこから?思うに古典の西洋画はほとんど一人のパトロンの注文で書いている。しかし、浮世絵は大衆相手の商品であり、一瞬にして他の作品より目立って、しかも欲しいと思わせないと売れない。自分の描きたい事と言うより、目立ち、売れる物を。そのシビアな現実が、浮世絵をより、大胆な構図にさせたのではないか?

5.      モネのように

4にも通じるが、人は見たいものを見て、聞きたい事を聞く。見たく聞きたくない物は、脳が勝手に削除する。(ここがAIとの違いといわれる。)例えば、雑踏の中で自分の子供の泣き声を聞きわけるがごとく。人は目で無く、脳で観る。

モネの睡蓮は、目でなく頭で感じる。だから本物以上に心にしみると思う。

広重の絵も、単に自然を再現したのではなく、広重の心の目というフィルターを通して、本物以上に本物の美しさを見せてくれる。

 

次回に続く

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。