2016年2月アーカイブ

見たよ!」と自慢するには、遅くなったが、満を侍して、「スターウォーズ(フォースの覚醒)」を見た!

公開から遅れる事1か月、ようやく念願がかなった!

お蔭で直前に予約したにもかかわらず、ど真ん中の席で見られたし、フィギア付きドリンクも半額の500円で買う事が出来た!!(ラッキー!)

 

「スターウォーズ」シリーズは、特別な映画である。全作品、公開時に映画館で見ている。(同様の作品は、「バックトゥザフューチャー」と「レイダース」くらいで、「ジュラシック」や「ロッキー」「ターミネイター」「ダイハード」シリーズも途中で挫折した)

1977年の第一作の時は、中学生だったから、その間高校、大学、社会人、そして50過ぎのおっさんになった今でも映画館で見たい!と思わせるのは、「フォース」の力以外の何物でもない。(笑)

 

今回、第7作を見るにつけ、エピソード1から6まで全て見直した。我ながら偉い!(笑)

見終わって、素直に感動したことは、エピソード4(第一作)の完成度の高さ!初公開から40年たってCGや撮影技術が恐ろしく進化した今でも、全く古く感じないし、昔と同様にワクワクする。

一方、エピソード5,6は、1,2,3と比べると少し古臭く感じる。(もちろん、これはこれで最高に面白いだが)当時の最新の技術を余すところ無く使って作ったことは、よく分かる。しかしエピソード1,2,3のド迫力の前には、・・・である。しかし!エピソード4(第一作)は全く色あせない。

そこで分かったのは、「技術は色あせるが、本質は色あせない。」という当たり前の事。多分20年後、30年後はエピソード1,2,3も古く感じる時代が来るであろう。しかし4は永遠だと思った。本質は強い!例えて言えば、「流行のお菓子は、移り変わる。しかし、「赤福」「きびだんご」は永遠である。」といえる(笑)甘党の著者より(笑)


さて、「今回の7についての感想は?」問われればズバリ理屈抜きで面白かった。同時に「おかえり!」と言いたくなった。

1,2、3は大好きだが、どちらかといえば、暗いし重い。テーマがテーマだけにしょうがないが。それに比べ、4,5,6には、軽快さとワクワク感が勝っていた。

記憶に間違いがなければ、ルーカスが、第一作直後に、「人生で辛いことがあっても、映画館の中では、全てを忘れて楽しめる、そんな映画を作りたかった。」的なことを言っていたと思う。(記憶違いならすみません)それを実現したような映画だった。当時は、何回見たかを自慢し合っていた気がする。

4を引き継いだ5,6もトーンは一緒だった。そして、今回の7は、久しぶりに4,5,6のトーンに戻ってきた気がする。緊張感の中にも、ウィットやふっと息が抜けるところ、非常にグロテスクなんだけれど、どこか憎めないキャラクターも盛りだくさんで嬉しかった!

そして、お約束の宇宙戦闘シーン。これを見ると、ああ「スターウォーズ」が返ってきたと異常にテンションが上がる。戦闘シーンは今回が一番凄かった。技術革新のリアルさで、何度もおしっこをチビリそうになった(苦笑)特に「ミレミアム・ファルコン号」の戦闘シーン!思い入れが違う。

さらに今回、オールドファンにはたまらない懐かしのレギュラー陣の数々。30年ぶりに同窓会に来たような気がした。みんなの顔を見るたびに、「お互い年を取ったなぁ、そして人生いろんなことがあったなぁ」としみじみ思う。と同時に、かなり変貌した姿の中に、昔と変わらないところを探して、見つけて、凄く嬉しく思う。そんな同窓会が出来た!

ハンソロは、(昔からルークよりも破天荒なハンソロに憧れた!)何歳になっても相変わらずカッコ良かったし、チューバッカの叫びも懐かしすぎる!レイア姫も本当に30年ぶりくらいだったが、(実生活はいろいろと大変だったと聞いているが(笑))以前より魅力的な女性に変わったのが驚きだった。僕の趣味が変わった?(苦笑)

一方、C3PO,R2-D2の容姿はほぼ変わらない。人は年とともに成長し、変化していく、変わる事が人間の本質と気づかされた。

 

さて、気づきはまだ続く。

今回3Dで見た!「絶対3Dの方がいいだろう」と思って迷わず3Dにした。しかし、結論から言うと、その必要はなかった!この映画は、多分3Dだろうが2Dだろうが変わらない。2Dでも3Dと同じ体験ができる。それを40年くらい前から、実現している。恐るべきこと!だから、公開当時、他の映画と違ってあれだけ興奮したのだろう。

 

全てが良かったが、あえて言うと、今回一つだけ、残念な事があった。第四作(エピ1)から参入した我が子供は、「ここ数年の映画の中でベスト5!」とのたまっていたが、第一作(エピソード4)から見ている僕は、あの場面(ストーリー)だけは変えてほしかった。我々世代は、先ほど言ったように第一作のキャラクターには特別な思いがある、ストーリー展開上、しかたがないかもしれないが、次回あの勇志を見れないのは辛い。(どの場面かは、想像にお任せします。)


まだまだ書き尽くせないが、みなさんもそろそろグダグダブログに付き合うのも、辛くなってきたと思うので、最後に勝手な僕のスターウォーズ論をいわせてもらえば?

「スターウォーズとは何か?」超単純化すると「巨悪に立ち向かう冒険活劇」であり「家族愛と友情」の物語と思っている。

このテーマは映画の歴史において、繰り返し取り上げてきた鉄板中の鉄板であり、映画の面白い要素が全て入っていると思う。

今回も含めて、このテーマに沿った映画の醍醐味を、壮大なストーリーの下、巨額が金を使い、最新の技術を屈指し、全作品ワクワクさせてくれ続けているジョージ・ルーカス、今回のJJ・エブラハム監督、はじめ全てのスタッフに感謝である!

次回作まで、残り2年。次回作までこのブログも「スターウォーズ」を見習って「不易流行」で綴っていきます。皆様の楽しませられるかは、はなはだ疑問であるが・・。(苦笑)


「火花」を読んだ

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話題の「火花」を読んだ。

 

 (注)いつも通り、僕の読書紹介では(これから読む人の為に)内容にはほとんど触れません。まだ読んでない人が、ブログと読んで、「そうなの!面白そう!」と本を手に取ってもらえば嬉しいですし、すでに読んだ人は、共感や「こういう見方もあんだ!」と時間つぶしにしてもらえばと思っています。それくらいまあ、適当です(笑)

 

さて、この作品。

読書直後の感想として、これはまさしく「芥川賞受賞作」であって、「直木賞受賞作」ではないと思った。読む前までは、失礼ながら少し軽く見ていて、会話中心の軽く読み流せるストーリーものという感じを持っていた。しかし、しかし、実際は全く違っていた!

僕の勝手な解釈としては、「芥川賞」と「直木賞」の一つの易い違いは、我々がその本を読む時の速さの差と考える。「直木賞系」は、ストーリーを楽しむことを主として、ゴーカートのようにどんどん読み進む。一方、「芥川賞系」は、文章や表現そのもの、あるいは語間に含まれた深い意味を読む感じで、読み進みながらも時には読み返して、その分析や比喩に感動したりする。これは、散歩に近い感覚で、時には立ち止まって「道草」を繰りかえす。

さらに言うと、「直木賞系」は映像化しても十分面白いが、「芥川賞系」は総じて、その魅力は、半減する。その特異な表現は映像には出来ないからだ。

 

同時に、この作品はまさしく「プロの作品」であった。

常々思っている事だが、プロとアマチュアの差はとても大きい。ゴルフでも歌でも、絵画やお笑いでもそう。もちろん、作家にしても素人とプロの差は歴然とある。

分かり易い文章や、何も考えないでつらつらと読める文章は、ある程度素人でも書ける。実際、全く無名のブログや著名人のエッセイを読んでもとても優れて、面白いものもいっぱいある。

 ところがどっこい、長編、かつ純文学となれば、素人ではメッキがはがれる。もちろん僕は、プロの評論家ではないので、その差まで指摘できないが、違和感は、感じる。

先日、オークションハウスのオーナーに聞いた。

本物と偽物は、何かが違うらしい。「違いを説明しろ」と言われても、うまく出来ないほどの出来のいい偽物(笑)であっても、確信的な違和感を感じるらしい。

実際に、彼とスタッフが、ある著名コレクターのコレクションの鑑定を頼まれたとき、連作のある一点の画家のサインが左右反対向きに書かれていた!あり得ないミスであるが、これは本物の絵のネガをさかさまに見ながら描いたために起こったという。それが無ければタッチにしても構図等にしてもまさに本物的だったらしい。

ただ、彼が鑑定している間中、ずっと何か違和感を感じていたとのこと。結局そのシリーズ全体が偽物であった。

 

話を元に戻すと、この「火花」は、まぎれもなく本物だった。

小説でありながら、真正面からお笑い論、芸人論を展開していて、しかもその分析は、鋭い。小林秀雄というより中上健二的な、決して難解ではないが、誰も指摘しなかった切り口でこの分野を切り込んで、その本質をえぐりだしている。そこには、ボケや茶化しはない。相方もいない。ひたすら、自分一人で「お笑いとはなんや?」と問い続け、一番深い部分に近づこうとしている。真摯なガチンコな突込み連打である。山田詠美さん(芥川賞選考委員)の選評にあったように「どうしても、書かざるを得ない切実なものが迫ってくる」ということが正解であろう。

 

この「火花」では、会話の部分は少ない。会話に逃げていない。会話をつなげてストーリーを作っていく方が、漫才のネタ作りをしている又吉さんにとっては、簡単だったと思うが、この作品では、会話を必要不可欠なレベルまで削って、それがないと物語が成立しないギリギリに留めている。その一方で、「お笑い論」「芸人論」になると途端に饒舌となる。

心情や背景に対する表現も、相当練られている。村上春樹や阿部公房のように、今まで誰も使ったことがない、こんな面白い表現の使い方があったの?という個所が随所にあって、「読書の道草」をとても楽しめた。

 

とにかく、ストーリーも面白く、そして「ディテール」も楽しめる。「一粒で二度も三度も美味しい作品」として、ぜひお勧めです!

 

この話(「火花」ではなく、ブログの話)には、後日談があって、先日 なま又吉さん、綾部さんにお会いする機会があった。なま又吉さんは、人見知りでテレビの印象そのものだし、一方綾部さんは、非常に社交的で誰でも打ち解け、親しくなれるキャラだった。この最高のコンビが、ひとたび漫才をしだすと笑いの火花を散らす。

 

今回、この2人に当社の新商品「普段着としても着られるスーツ」と、お陰様で大ヒットしている「ストレス対策スーツ」の広告についてのご協力を戴いた。

これらの商品は「火花」に例えると、全てのディテールに徹底的に凝り、時間をかけて開発した。また、一着スーツで、仕事でも遊びでも着られる一粒で2度、3度美味しい。そのネーミングを本家本元の又吉さんと綾部さんにお願いし、「MYスーツ」(毎日着られる、わがままスーツのMYをとった)と名付けてくれた。

 

又吉さんにあやかって、「火花」のように大ヒットして、業界を覆すようなインパクトを起こせれば、最高である。「火花」から転じて、大きな「花火」になればと思っている!

志の輔 落語3

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さあみなさん、これで終わりと思ってませんか?

そこのお客様!まだ帰えっちゃあだめですよ!

 

ここからが名探偵コナンで言うと、毛利小五郎がコナンに眠らされた場面であり、ベートベンの第五「運命」でいうと第4楽章が始まるころ。つまり一番おいしい場面、感動のクライマックスの始まり、始まりです。

 

さて、実は、忠敬は2度死んでいる。そんなあほな、そんなん出来るのは、007と、キリストくらい!さすが偉人は違うなぁと感心している場合では、ないない。

でも、二度死んでいる。二度寝とちゃいまっせ(笑)(どんどん、文章が荒れてすみません。正直、長い文章を書くのに、飽きかかってます(笑))

聞いている方はもっと飽きるよね。これを飽きさせない、志の輔のすごさが分かる!


忠敬が死んだのは73の時、そして3年後。死して3年、弟子たちが隠しに隠した!

そこには深い理由があったんです。

何年か前に、年金欲しさに親の死を隠す事件がありましたが、もちろんそんなせこい理由ではない。弟子たちは、完成した地図をどうしても「伊能忠敬」の地図として後世に残したかった。そのためには、忠敬の死を隠す必要があった!

地図が完成して将軍に報告する時、忠敬がいなければ、この偉業は、弟子たちのものとなる。弟子たちはこれを良しとせず、忠敬の偉業として歴史に残したかった。なんと美しい師弟愛。そのため、完成まで死んだことを隠すことにした。もちろん、ばれれば全員打ち首、切腹。しかし、弟子たちはそれを選択したんですな。

3年間。壮大な資料だったんです。測量はすべて終えていたが、地球の丸さと平面の地図の誤差を一つ一つ計算直して、地図を作る。現代であれば、コンピューターで一瞬であろうが、当時はそれに3年も。隠しているみんなは、いのう痛くなるような(ちょっと苦しい)3年だったと思います。

その結果、今 伊藤忠敬とその弟子たちの偉業は、歴史の大きな1ページとして残ることになった!

まっぱれ!MAPぱれ!(さらに苦しい(苦笑))

 

さて、元に戻るとこの話を、笑と涙と感動で約1時間30分、たった一人の男、志の輔さんが演じ切るのである。忠敬17年、志の輔20年 途中何度も、忠敬と志の輔が重なって見えた。

 

今回、この二人によって、教えられたことは、

1.何歳になってもスタートできる

2.大きな目標をもつ、夢は見るものではなく、かなえるものである

3.あきらめない情熱が大きな偉業を達成する

4.そして、夢は自分一人ではなく、大勢の仲間がいて達成できる

 

年の初めにこの落語を聞いて、改めて、今年の目標と大きな夢を抱いた!今年一年、この教えを胸に刻んで夢に向かって挑戦してみよう!試みしてみよう!

挑戦した人、ためした人だけが、夢をかなえられると信じて。

今年一年、「ためしてガッテン!」

おあとがよろしいようで。

志の輔 落語2

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最後のお題目が、「伊能忠敬もの」

この話において、志の輔さんと伊能忠敬の偉大さが完全にシンクロして、笑いの中にも深い感動を覚えた。

以下勝手に高座調で・・。

 

えー、ごぞんじ伊能忠敬は、千葉に生まれて若いころから神童と呼ばれてたんですね。

17の時に、才能を見込まれて、商家の養子となる。ところがどっこい、行った先は、シンダイが傾きかけたひどい状態。それでも、忠敬は、持ち前のまじめな性格と才能をいかんなく発揮し、立派に立て直すことに成功するのであります。あっぱれ伊能忠敬!

商売も順調、家内安全、合格祈願(これは関係ないか(笑))、と思われた矢先、大きな事件が起きます。

さて、実は忠敬の性格等について、詳しい記述はほとんど残ってません。しかしこの一つのエピソードを聞くと、「ああ、すごい人だったんだなぁ」と思わずにはいられない。

そんな事件が起こったのが・・。(ここで、三味線でも入れば最高)忠敬、38の時。時は江戸後期。この年、江戸の四大飢饉と呼ばれる天明の大飢饉が起こる。日本中ひどい有様で、貧しい農家の娘は一家を支えるために売りに出され、ひどいところは食べるものがなくなって、人が人を喰らう事もあったとかなかったとか。それくらいひどい飢饉だった。

ここで立ちあがったのが、何を隠そう我らが真田丸!ではなく、忠敬!(笑)

日本中がこんな中に合って、忠敬がいた村は、なんと一人の餓死者も出さずにしのいだのでした!

何があったのか!そう、忠敬は、飢饉が起こるや否や、蓄えた私財の全て、米一粒、酒一滴にいたるまで、村の人に解放して、村を飢饉から救った。えらい!鬼平!(だから鬼平ではなく、忠敬!とまたも一人つっこみ!)私腹をこやす、どこぞの国のお偉さんに聞かせてやりたい!と談志ならいうでしょうが(笑)

 

それから10年、真面目に商売を続け、49の時に、若い人の邪魔になっては、と隠居を決意いたします。当時49歳。

はやい!わたしの年では、すでに隠居である(苦笑)日本の偉い先生方も、ほぼ全員隠居である。(だから、談志はいいって!(笑)

 

さあ、その後 忠敬はどうなったのか?

楽隠居? いえいえ、彼の名を歴史に残した偉業は、ここから始まり始まり!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

隠居後、すぐに当時天文学者として名高い江戸の高橋至時先生のもとに弟子入り。ここらへんが、並みの隠居人とは違う。例えて言うなら、ちょっと古いけど、ロナルド・レーガン。役者の時より、大統領で歴史に残った!さて、古館一郎は今後どうなるんでしょうか?(そんなことはどうでもいい!)

忠敬49、師匠は31。20ちかくも年下の先生に弟子入りしたことになる。

至時は、困ったでしょうな。スマップがいきなりキスマイに弟子入りしたようなもの。(例えばへんですんません)

 

ところがどっこい、「金持ちの道楽か」とタカをくくっていた至時も忠敬のその熱心さに恐れ入って、逆に先生と呼ぶようになるんですな、これが。やっぱりすごい人はどこに行ってもすごい。

 

そんでもって本格的に天文学を学び、満をじして55の時、全国測量の旅に出る。

以来73で亡くなるまで17年間歩き続ける。まさに歩きづづけた生涯であります!

その距離、5000万歩 地球一周と同じ距離。世界初、地球を歩いた男。伊能忠敬、その器は、地球をも越える!という感じであります!

 

みなさん、わかってらっしゃると思うが、これは大変なことです!

どうです?自宅から会社まで歩いたとして。電車通勤に1時間くらいかかっている人でも、せいぜい20キロ程度。

それの2000倍。一日20キロとしても、約6年間歩き続け。それもただ歩くだけではなくて、測量しながら歩く。そのすごさは、忠敬の作った地図は、いまのグーグルのマップと、ほとんど誤差ないというから改めて驚く!グーグルがのどから手が出るほど欲しい人材である(これは、ちょっと違う(笑))

さらに、忠敬は正しく測るためにいろんな工夫をした。そのひとつが、歩幅、ただ歩いて常に一定の歩幅というのは、やさしいものではないということは皆さんがよういにわかること。特異な歩き方をしないと一定はたもてない。苦労の末、見出したのがコンパス歩き!(コンパスは当時なかったが)

かなり歩幅を大きくして、コンパスのように歩かないと、歩幅はぶれる。変な歩き方で、当時絶対目を引いたと思いますよ。今だったら絶対勝手に撮られて「変な歩き方をしているおじいちゃんがいる!」と投稿されたかもしれない。

そんな話は、どうでもよくて、これをマスターするには体力と忍耐がいる。隠居の忠敬は鬼の執念で、ついにマスターする。全然隠居してないやん!

記録によると歩幅、約70センチ。股関節を最大に広げて歩いたようで、これはどう考えてもキツイ、丁度キャディが、歩幅1ヤードで距離を測る、まさにあれ!良くお世話になるが、見ているだけきつそうだが、それで地球一周?人間業ではない。ましてや、60や70のおじいちゃんが。

さらに、今でも海岸線を歩くとなると(日本列島の輪郭をつくるわけなんで、当然海岸線である)正直、崖があったり、密林など、歩けない。ドローンはないし、どうやったのか、感動を越えて奇跡というしかありません!

 

さてさて、ここまで長々としゃべってきたが、忠敬は何をしたかったのかといいますと、

地球の大きさを測りたかったようです。なんだ、それっなの?とドラえもんにお願いするか、ドロリアンでも乗って教えてあげたかった。

それなら、こんなに苦労しなくてもよかったのに、と思う訳であります!

 

そして73歳。死ぬまで歩き続けた忠敬はその生涯を閉じます。

 

最終章に続く。

志の輔 落語

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年明け早々、嬉しいことがあった。

先日、パルコ劇場にて「志の輔 落語」を聞いた。年明け恒例の行事で、もう20年もやっているらしい。ひとえに20年間といっても、大変な時間である。落語は、自分一人、体調が崩れたり、カゼになってさえもしゃべれない。

実は、今回僕は初めての鑑賞だった。

志の輔さんの落語には以前から興味があったが、そのチケットは「蒸発チケット」として名高い。売り出すと瞬時に完売する。というわけで、CDでいくつかは聴いたことがあったが、ナマで聴くのは今回が初めてであった。

ちなみに僕のお勧めは、「しじみ売り」。鼠小僧の話をモチーフにして、これは泣ける!人情話の頂点といえる語りではないかと思う。ぜひ聞いてみてください!

 

話を元に戻すと、今年、渋谷パルコ劇場建替えとなり、今回が当劇場での最後の講演となるとのこと。つまり僕は最初で最後となった。

 

では、初のナマ志の輔さん!どうであったか?

とにかくうまい!寄席の会場としては決して狭くない場の超満員の客が、一瞬で吸い込まれる。彼の一挙一動、一言ももらすまいと、まるで熱狂的なスターウォーズファンが、今回のエピソード7を、充血した目でガンミしている感じであり(そんな人はいないけど(笑))、あるいは、やっと手に入った純米大吟醸「十四代 龍月」を最後の一滴まで、舐めるようにし飲み干すような感じである。(こういう人は、いそうである(笑))

 

さらに、話しが進むごとに会場は、巨大なオーケストラ化していき、(以前志の輔さんの落語で、「第九」を扱った作品(歓喜の歌)があったが)志の輔さんの指揮のもと、全員で一つの曲を演じているような、会場全体が一体となり盛り上がっていく。

サッカーか、ラグビーの競技場に来ているようである。

 

驚いたのは、3時間ほどの舞台を一人でこなす。時間はあっという間というより、「ハハハ」と笑っている間に過ぎ、いよいよ最後のお題目となった。

 

つづく。

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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