2016年7月アーカイブ

ド素人の絵画展2 17世紀のダースベイダー カラヴァッジョ展

 

カラヴァッジョ展、そこは美術館と言うより映画館の様だった。

会場の奥の壁には、スクリーンのかわりに一つの絵が掲げてある。

画中の女スリは、今まさに金持ちのぼんぼんから財布を盗もうとしている。その一瞬がまるでヒッチコックの映画のワンシーンのように描かれている。凄くリアリティを感じるが、一方、何でこんな題材を、選んだのかが気になった。

 

画家の名はカラヴァッジョ。

今話題のEU統一紙幣以前のイタリアの最高額紙幣の肖像として使用されていたらしい。(日本で言えば福沢諭吉)驚くべきは、かのダビンチやミケランジェロを押さえてである。その栄光とはうらはらに、彼の人生は、黄金色よりむしろ血に塗られている。

誰もが羨む才能を持ちながら、それをコントロールしきれず破滅へと落ちていった。常に、ダークサイドとライトサイドを行き来した。

誰かに似ていないか?そう彼は17世紀の「ダースベイダ―」である。

彼の驚くべき人生をダースベイダーと比較してみると、


1.      青年カラヴァッジョ: ミラノからローマに出て来て、極貧生活をしていた彼に大きなチャンスが訪れる。ローマ教会の枢機候(デルモンテ)のパトロンがついたのだ!

 

少年アナキン・スカイウォカー(後のダースベイダー): 砂漠の惑星タトゥイーンで、奴隷の子として暮らしていた彼は、後の師匠になるオビワンに拾われて、惑星を脱出する。

 

2.      カラヴァッジョ: この枢機卿の下、最高の環境の中でひたすら作品に取り組む。この数年で現代まで残る作品を数多く残した。その中の「聖マタイの召命」では窓からの聖なる光を描く。この光こそが、神の啓示の如く、後の画家に多くの影響を与えることとなる。

 

アナキン:オビワンの下、ひたすら修行にはげみ、ジェダイとして大きな才能を開花させた。ある時は、師匠のオビワンさえ上回る活躍をし、帝国の危機を何度も救った。

このころが彼らの絶頂期だったであろう。

 

3.      カラ: 一方、その絶頂期において、たった2日で祭壇からはずされた作品があった。それを指示した司教は、その絵を見て「すぐれた技術を持つ画家の作品かもしれないが、その画家の心は邪悪で善行や礼拝などといった信仰心のかけらもないに違いない。」と言ったという。

 

アナ:彼の能力に対する賞賛の中、ヨーダのみが、彼の中にある深いダークサイドの存在を指摘する。

 

4.      カラ:やがて、彼の生活はどんどん荒れていく。傷害事件も数多く起こすようになり、作品の美しさと反比例して、絵筆よりナイフを持っていた時間が多かったという、ライトサイドが、強くなればなるほどダークサイドが広がっていく。

 

アナ:ジェダイの修行のさなか、大きな力を持った彼は、その力を復讐の為に使ってしまう。母を殺したサンドピープルを女子供構わず皆殺しにする。その残虐さは、後のダースベイダーを見るようである。

 

そして、ついにその日が来る。  

続きは次回。

しつこく続く(苦笑)

さて後半戦です。ひきつづき推理しながら、お進みください。

 

6.      セザンヌのように

セザンヌは、自然の全てを「球と三角錐と三角柱」で表現しようとしたと言われる。まさに記号化である。

日本には、庭山水という世界にどこにもない表現方法がある。禅寺などはよく見かけるあれである。

日本人は、壮大な実際の山や川を、庭と言う限られた空間の中で表現した、いわば自然のジオラマである。自然をジオラマ化するには、切り取り、簡略化、記号化(アイコン)が欠かせない。

それと同じ表現が広重作品にあった。

風景を、大胆に簡略化、記号化している。先ほどのデフォルメと相まって「間違えようのない分かり易い」名所という世界がここにある!

余談だが、実は日本人はこの記号化がお家芸である。家紋はもちろん、最近のLINEのスタンプなども感情の表現をよくまあこんなに簡潔に記号化していると感動すらする。

7.      ゴッホ、ルソーのように

今回の展示会を見て最初に感じたのは、その色の鮮やかなこと。とても100年以上前の色ではない。この驚きは、ゴッホやルソーを見た時に感じた絵自体が発光しているように色鮮やかである。色が、どんどん迫ってくる。

特に赤が活きている。この赤により絵がピリッと締って見える。丁度、うどんに入れた七味のように、

 

8.      ピカソのように

ピカソは2次元のキャンパス上でいかに3次元を表現できないかチャレンジして、あの訳わからない絵にたどり着いたという。

広重の鳴門の渦や銚子の海の絵をじっと見てみる。不思議不思議、波が動き出す。

これは、北斎の富嶽三十六景の神奈川沖浪裏でも同じである。2次元でありながら、異様な立体感がある。この波に吸い込まれる感覚に襲われる。以前、カナダでナイアガラの滝を見た時と同じ印象を持つレベルだから恐ろしい。

さらに、見えないものまで、立体化して体験させる。例えば風の見える化「美作 山伏谷」。しんと静まり返った音の見える化「永代橋 佃しま」花火の音も「両国花火」さらには、竹藪の臭いさえも「庄野」

 

9.      マチスのように

実際の色ではなく、目に見える色をイメージに置き換え、色の縛りから解放してくれる。

現実の世界は無限の色で満ち溢れている。それを、絵画で表現する時は限られた絵具の色で再現しなくてはならない。浮世絵のように、版画絵になると使える色がさらに限定されてくる。大変だったと思う。その少ない色数で自然を再現する。そこでは、人並み外れた判断力が試される。現実とイメージの色がバチッとマッチした時、絵を見た後の風景が、その色には思えなくなるから不思議である。

10.      ミロのように

ミロを見ろ!ではなく(苦笑)ミロは考えるものだと思う。最初見た時は、何だこれは?という歯牙にもかけないで通り過ぎた。しかし、よくよく解説を聞いてみると、全ての線、全ての図形がそれ以上でもそれ以下でもない位、切り落とされてあの絵になっているらしい。感情で描くのではなく、知性で組み立てるという感じである。

さて、東海道五十三次の構図には驚く。例えば新幹線は横長の絵で表現した方が、楽である。しかし、広重はそのような普通を嫌い、徹底的に計算しつくして、違和感なく魅力的に描いている。

手帳の下絵を見ると、「天橋立」は当然、横長のページにはみ出すくらい描いてあった。それをなんと縦の構図を直して、実物よりも実物近くにしている。横でしか表現でいないはずの「丹後 天の橋立」の構図には心底驚いた。

 

ここまで、続けてきた戯言にお付き合い頂き、ありがとうございます。

みなさん、浮世絵がなぜすごいか?僕なりの「答え」が分かったでしょうか?

 

それでは、答えの発表です。ジャン!

 

答えは...(だましてすみません、)10どれも×です。

結局は、最初にお話しました通り、絵画ド素人が、小賢しくどこかでかじった知識をもっともらしく語ってきたことがで、「浮世絵の凄さが表現できるわけがない!」というのが結論です。

上記の戯言は、浮世絵鑑賞において全く無駄と分かりました(苦笑)。すみません。

絵画は、やはり理屈ではなく、感覚で感じさえすればそれでOKと言うのが答えです。

 

お付き合い頂いた方、申し訳ございません。

ド素人は、ド素人らしくただ味わい感動すればいい!というのが今回のブログの結論です(苦笑)

料理も、音楽も、同様で小賢しい解説はいらないから、早く食べさせろ!早く見せろ、聞かせれろ!が、答えかなと思います。

 

最後に蛇足を。

 

なぜこれほどすごい浮世絵が、長年日本では正当な評価を受けず、ほとんどが西洋に流出したのか?それは、実は身近すぎてその偉大さが分からなかったのではないか?丁度本当に凄い人を家族に持った者は、当たり前すぎてその凄さが分からなくなるように。

アインシュタインもジョブズも坂本竜馬なども、周りが騒ぐからすごい人だと思うけれど、

身内から見ると実は単なる変人さだけが、際立って見えたのではないか?

 

そういえば、僕の事も身内はあまり評価してくれていない気がする。ということは、実は偉大なのでは?というのは冗談だが(笑)ただ、冷静に見ると周りも評価してないような気もするのでやっぱり凡人(笑)

話を元に戻すと、当社でも身近すぎて、その能力をちゃんと評価できていない人もいると思う。

固定観念を捨てて、もっと本質を見て評価しようと、これもまた広重に教えられました。

前回の続きです。すでに、飽きた人は、答えだけを。

もう少し付き合ってもいいと思う方は、ひき続き、これら10のうちどれか?

僕なりの浮世絵のすごさの「答え」を推理しながらお読みください。


1.      江戸時代のグーグルアース

現代の我々はグーグルアースを使って、居ながらにして世界を旅できる。広重の絵がまさにこれ!

この時代の人々は、今以上に旅するのに苦労したと思う。実際ほぼ不可能だったのではないか?もちろんテレビもネットも写真さえない。そんな中、広重の浮世絵を見て、自分が実際に旅をしている気になったのではないか?東海道、富士山、江戸の名所など。我々でさえ、このたったA3大の小さな絵をじっと見ていると、その場にいるような気になる。恐れ入る。

さらに凄いのが、ズームもワイドも自由自在。遠くで全体図を見ていると思えば、ズームしてその橋に立っているような絵もある。

さらにさらに、それだけでは終わらない。目線の高ささえも。鷹の目線のように空からだと思っていたら、一気に下りて虫や犬の目線になる。人々が、その風景でどこが一番見たいかをまるで、知っているかのような描き方をしている。

まさにグーグルアース!

極めつけは驚くなかれ、もはやグーグルアースを超える!

広重は、グーグルアースでも出来ない事さえ、簡単に行っている。

それは・・。デフォルメ。強烈なデフォルメ。

例えば富士山。こんなにとがっていた?など関係ない。解説などいらなくて、誰がどう見ても富士山である。

特徴をとらえてデフォルメは、浮世絵の真骨頂。役者絵など、その最たるもの。似顔絵や、形態模写は、本人以上の本人と分かる。はやりのAI(人口知能)による顔認証など百年以上前からやっている。

 

2.      ファンアイクのように

ゲントで「神秘の仔羊」を見た時にその精密度合いにド肝を抜かれたが。広重の絵にもそれを感じた。細かい草花、髪の毛、人間はここまで緻密になれるのか?しかも筆で。しかもしかも、浮世絵はこれで終わりではない。彫師もこの胃が痛くなるような作業をしていたなんて気が遠くなる。どこまで細かいのだ!

3.      ブリューゲルのように

ブリューゲルが、市井の人を題材にしてその時代の人々の暮らしを描いたのに似て、

広重の浮世絵にも、ほとんどの場合、人々がいる。笑って、泣いて、驚いて、困って、登場人物も魚屋、商人、遊女などなど。リアル時代劇を見ているようで、その時代のにおいさえ感じる

4.      マネのように

構図が凄い、一瞬にして目を引かれる。そのために、物体の一部しか描かないことなどザラ。顔の半分や、亀、荷車なども大胆に切っている。

この大胆さはどこから?思うに古典の西洋画はほとんど一人のパトロンの注文で書いている。しかし、浮世絵は大衆相手の商品であり、一瞬にして他の作品より目立って、しかも欲しいと思わせないと売れない。自分の描きたい事と言うより、目立ち、売れる物を。そのシビアな現実が、浮世絵をより、大胆な構図にさせたのではないか?

5.      モネのように

4にも通じるが、人は見たいものを見て、聞きたい事を聞く。見たく聞きたくない物は、脳が勝手に削除する。(ここがAIとの違いといわれる。)例えば、雑踏の中で自分の子供の泣き声を聞きわけるがごとく。人は目で無く、脳で観る。

モネの睡蓮は、目でなく頭で感じる。だから本物以上に心にしみると思う。

広重の絵も、単に自然を再現したのではなく、広重の心の目というフィルターを通して、本物以上に本物の美しさを見せてくれる。

 

次回に続く

広重展、これは驚いた!

正直 今まで浮世絵の魅力が今一つ分からなかった。というより、心の中で、西洋絵画(いわゆる油絵)と比べて、浮世絵を低く見ていた。「単なるプロマイドかポスターでしょ?」くらいに。

 

私のような美術ド素人から見れば、西洋絵画は、高価な絵の具を使い、キャンパスも大きく、そして時間をかけて丁寧に書いてある。(なんとなく高そう!実際高い!!)それに比べて浮世絵は、小さいサイズで、ペロッと平面的で奥行きがない。

さらに決定的な違いは、2枚と同じものがない西洋絵画(現代アートは別)に比べて、浮世絵は、同じものが何枚も存在するではないか!

 

しかし今回のサントリーホールでの広重展を見て、自分の無知を恥じた。浮世絵師たちに謝りたい。

「美術の価値は、大きさや値段ではない!」(言ってみれば当たり前の事)

「美術の価値は、感動の大きさで決まる!」

と浮世絵を見ながら、(誰だかわからないが)美術の神に教えられた気がした。

 

さて、展示会場に入ってみよう。

明るいホールから一気に照明が落とされていて薄暗い。静寂の中に、一枚一枚の絵にスポットを当てられている。

吸い寄せられるように、そのスポットの絵に近づいて見る。

 

凄い!

鳥肌が立つとは、このこと。

「すごい、すごい、本当に凄いのである!」と叫んでも、実際見ないとこのすごさは伝わらないので、今回はこれでおしまい。では意味がないので、なんとか伝わるように、こじつけであるが、浮世絵がなぜ凄いのか?僕なりに、その答えを下の様に列挙してみた。

 

さて、僕の答えは、この10個の中のどれだったでしょうか?今回は、推理をしながら読み続けてください。

(答えは、このブログの最後に書いています!)

 

西洋画に負けていない、その凄さとは!

1.      (広重の絵は)グーグルアース!居ながらにして世界中に連れて行ってくれる

2.      (広重の絵は)ファンアイク!超絶技巧で人も小さな花びらさえも精密に描っている

3.      (以下 広重の絵は、を略します。)ブリューゲル!その時代に生きる庶民の暮らしを見せてくれる

4.      マネ!対象のみに集中して、余計なもの省いてくれている。

5.      モネ!対象を単なる写実でとらえるのではなく、光を分析して、実際以上に真実の姿を見せてくれる。

6.      セザンヌ!超単純化、形式化を試みて、全てを記号として見切っている

7.      ゴッホやルソー!100年以上たっても絵が光って見える。

8.      ピカソ! 平面の絵が、3Dにみえてくる。

9.      マチス! 固定観念の色の縛りから自由にしてくれる

10.   ミロ!一本の線と構図を徹底的に計算しつくし、いきなり絵の世界に入り込ませてくれる。

 

さあ、この中で答えはどれでしょう? 


つづく

はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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