haruyama: 2017年3月アーカイブ

ボケの力2

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先日たまたまテレビを見ていたら、古舘アナと宮根アナが共演していた。非常に面白い番組だった。番組は二人のおしゃべり対決を柱に進められていた。

以前より古館アナを当代随一のしゃべりの天才と評価していた僕は(彼の報道ステーション以前のしゃべりを一度見てもらいたい。本当に、新しく広辞苑が一冊作れる位、次から次へと、的確な造語を機関銃のように繰り出される。誰もまねできない。)この天才古舘伊知郎に勝てる相手はいない、当然この対決も古館アナの圧勝と思っていた。

しかし、この対決、古館アナと同等あるいはそれ以上に場の空気を支配していたのは、宮根アナだった。

番組は、交互に自分の選んだしゃべりのうまい芸人、政治家などを紹介していく。

古館アナは、紹介において有り余る才能をフルに発揮して、まさに立て板に水の如く言葉の洪水を作っていく。時には、落語家の口調で、時には田中角栄の物まねで。まさに関東の芸人のような美しいしゃべりであった。

一方、宮根アナは、スピード、言葉数などは、古館アナに及ばない、しかし声の強弱、真の取り方、そして極めつけはシュールともいえる誰も思いつかないような表現、それでいて、情景が目に浮かべ思わず吹き出す天才ボケ。

ああ、これは関東と関西の違いかと。非常に心に強く刺さった。

何度も言うが、アナウンサーとしてのしゃべりのうまさは古館アナの方が、何倍も上のような気がする。しかし、アナウンサーを超えた芸人、テレビという媒体でのつかみ方は、圧倒的に宮根アナが勝っていた気がした。

 

名人と芸人の差。

絵画で言うと、古館アナは、フェルメールであり、ダヴィンチ。誰が見ても上手い!と感心する。一方、宮根アナは、ゴッホであり、ピカソ。一見下手そうに見えて、一度見ると心を捉えて離さない。

 

さあここからである。

今の世の中、デジタル全盛である。IOT、デジタル家電。電化製品だけではなく、人間関係さえもだんだん白か黒かという感じになり。中間が無くなってきている。そんな中、白でも黒でもないのがジョークであり、ボケである。1+1=2でなくてもいい。田んぼの「田」でもいい。

地に働けば角が立つ。ぎすぎすした住みにくい世の中になればなるほど、ジョークや大阪弁のボケが必要となってくる。

 

大阪人あっぱれ!この関西のノリ、ボケ、これこそが、今、そしてこれからの日本人が、身に着けるべきスキルと思った。

 

今回の学び「黒(ブラック)か白(ホワイト)かを迫られた時、こう言いましょう!

「チョコは、あまり好きじゃないので、出来たらお酒でも!(大ぼけ1)」

「人生はオセロゲームじゃない、人生ゲームだ!(大ぼけ2)

ボケの力1

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 レーガン大統領が、暗殺未遂で狙撃された際、病院に運ばれる担架の上で「執刀医は、主党員じゃないだろうな?(レーガン大統領は、共和党ゆえ敵の民主党員だったら殺されるかも?という意味」)とジョークを飛ばした時には、「ここまでやるか!」とアメリカ人のジョーク魂に脱帽した。

皆さんも、ハリウッド映画で、最悪な状況にあってもジョークを発するヒーローを見たり、あるいはテレビのインタビューなどで一般人がマイクを向けられて、間髪置かずに小粋なジョークをかます場面をよく見たことがあるだろう。

これが日本人には難しい。街頭インタビューでも、政治家でも、正論だが面白くも何ともない返答が多い。最悪なのは、けんか腰にはけんか腰で返しより険悪な感じになる。
洒落の聞いた一言で一瞬にしてなごむ場面でも、さらに緊張を高めるような会話も多い。

ホント、日本人にはこの切り返しジョークは無理と思っていた。
だが、芸人ではなく一般人でもこの特殊技能をDNAとして身に着けている人達が存在することを知った。
これこそは、関西人である。というより、正確に言えば大阪人である。

続く
はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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