haruyama: 2021年3月アーカイブ

震災10年目に思う事

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今年も3月11日が来た。そして全スタッフで黙とうを捧げた。

もう10年も過ぎた。

驚いたことに黙とうをしている若いスタッフの中には、震災の悲劇を自分事として捉えられない人たちがいる。


10年前の震災で、我々の店も直接被害は40店舗に上り、社員、ご家族で命を落とされた方もいる。

10年前は、全員が自分事であった。ご遺体の捜索を自ら申し出たり、被災地に直接救援に向かった社員も多くいた。義援金は元より、何か出来る事はないかを日々全スタッフが考え実行した。

しかし、10年経った今。それは「記憶」ではなく「記録」として知り、捉えるスタッフも増えた。

だが、改めて考えるとそれは、無理もない事でもあると思う。

10年前、子供であったり海外や国内で直接被害が少ない地域にいた人もいる。

 

それが時間が経つという事かと思った。

強引だが、我々の世代で太平洋戦争の悲劇を自分事として考える人は少ない。昭和の時代の人も西南戦争や戊辰戦争について深く心を痛める人は少ないと思う。

それが、時間が経つという事だ。

 

我々は、いかなる国家的な悲劇も、時間と共にそれに対する感情は薄れていき、やがて歴史としてしか考えなくなる・・・。

これで終わり?

 

いや違う!

我々は悲劇に遭遇するたびに学び、後の世を良くするために役立ててきた。

西南戦争、戊辰戦争で同じ国の人たちが戦う事の愚かさを知り、それ以降は一つの国として歩んできた。太平洋戦争も戦争の悲惨さを知り、70年以上をこの悲劇を繰り返さないように努力してきた。

そして、東日本大震災においても人々の絆の大切さを知り、また津波対策、地震対策、そして原発対策など、少しずつ進化してきたいと思う。

それが、この震災で犠牲になった方々への一つの供養であり、さらに残された我々が「良く生きる事」も犠牲者との約束と思う。

 

コロナ戦争もいつかは終わる。

そして、今の日々の困難、苦労も時間と共に記憶から薄れて行くと思う。

でも、何か学ぼう!

10年後、20年後のさらにいい社会を作るために、コロナの教訓を活かす事。マイナスをプラスに変える事を考えて行こうと思う。

 

今回の学び「失ったものは二度と戻らないが、失う事により得るものがある。」


はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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