志の輔 落語2

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最後のお題目が、「伊能忠敬もの」

この話において、志の輔さんと伊能忠敬の偉大さが完全にシンクロして、笑いの中にも深い感動を覚えた。

以下勝手に高座調で・・。

 

えー、ごぞんじ伊能忠敬は、千葉に生まれて若いころから神童と呼ばれてたんですね。

17の時に、才能を見込まれて、商家の養子となる。ところがどっこい、行った先は、シンダイが傾きかけたひどい状態。それでも、忠敬は、持ち前のまじめな性格と才能をいかんなく発揮し、立派に立て直すことに成功するのであります。あっぱれ伊能忠敬!

商売も順調、家内安全、合格祈願(これは関係ないか(笑))、と思われた矢先、大きな事件が起きます。

さて、実は忠敬の性格等について、詳しい記述はほとんど残ってません。しかしこの一つのエピソードを聞くと、「ああ、すごい人だったんだなぁ」と思わずにはいられない。

そんな事件が起こったのが・・。(ここで、三味線でも入れば最高)忠敬、38の時。時は江戸後期。この年、江戸の四大飢饉と呼ばれる天明の大飢饉が起こる。日本中ひどい有様で、貧しい農家の娘は一家を支えるために売りに出され、ひどいところは食べるものがなくなって、人が人を喰らう事もあったとかなかったとか。それくらいひどい飢饉だった。

ここで立ちあがったのが、何を隠そう我らが真田丸!ではなく、忠敬!(笑)

日本中がこんな中に合って、忠敬がいた村は、なんと一人の餓死者も出さずにしのいだのでした!

何があったのか!そう、忠敬は、飢饉が起こるや否や、蓄えた私財の全て、米一粒、酒一滴にいたるまで、村の人に解放して、村を飢饉から救った。えらい!鬼平!(だから鬼平ではなく、忠敬!とまたも一人つっこみ!)私腹をこやす、どこぞの国のお偉さんに聞かせてやりたい!と談志ならいうでしょうが(笑)

 

それから10年、真面目に商売を続け、49の時に、若い人の邪魔になっては、と隠居を決意いたします。当時49歳。

はやい!わたしの年では、すでに隠居である(苦笑)日本の偉い先生方も、ほぼ全員隠居である。(だから、談志はいいって!(笑)

 

さあ、その後 忠敬はどうなったのか?

楽隠居? いえいえ、彼の名を歴史に残した偉業は、ここから始まり始まり!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

隠居後、すぐに当時天文学者として名高い江戸の高橋至時先生のもとに弟子入り。ここらへんが、並みの隠居人とは違う。例えて言うなら、ちょっと古いけど、ロナルド・レーガン。役者の時より、大統領で歴史に残った!さて、古館一郎は今後どうなるんでしょうか?(そんなことはどうでもいい!)

忠敬49、師匠は31。20ちかくも年下の先生に弟子入りしたことになる。

至時は、困ったでしょうな。スマップがいきなりキスマイに弟子入りしたようなもの。(例えばへんですんません)

 

ところがどっこい、「金持ちの道楽か」とタカをくくっていた至時も忠敬のその熱心さに恐れ入って、逆に先生と呼ぶようになるんですな、これが。やっぱりすごい人はどこに行ってもすごい。

 

そんでもって本格的に天文学を学び、満をじして55の時、全国測量の旅に出る。

以来73で亡くなるまで17年間歩き続ける。まさに歩きづづけた生涯であります!

その距離、5000万歩 地球一周と同じ距離。世界初、地球を歩いた男。伊能忠敬、その器は、地球をも越える!という感じであります!

 

みなさん、わかってらっしゃると思うが、これは大変なことです!

どうです?自宅から会社まで歩いたとして。電車通勤に1時間くらいかかっている人でも、せいぜい20キロ程度。

それの2000倍。一日20キロとしても、約6年間歩き続け。それもただ歩くだけではなくて、測量しながら歩く。そのすごさは、忠敬の作った地図は、いまのグーグルのマップと、ほとんど誤差ないというから改めて驚く!グーグルがのどから手が出るほど欲しい人材である(これは、ちょっと違う(笑))

さらに、忠敬は正しく測るためにいろんな工夫をした。そのひとつが、歩幅、ただ歩いて常に一定の歩幅というのは、やさしいものではないということは皆さんがよういにわかること。特異な歩き方をしないと一定はたもてない。苦労の末、見出したのがコンパス歩き!(コンパスは当時なかったが)

かなり歩幅を大きくして、コンパスのように歩かないと、歩幅はぶれる。変な歩き方で、当時絶対目を引いたと思いますよ。今だったら絶対勝手に撮られて「変な歩き方をしているおじいちゃんがいる!」と投稿されたかもしれない。

そんな話は、どうでもよくて、これをマスターするには体力と忍耐がいる。隠居の忠敬は鬼の執念で、ついにマスターする。全然隠居してないやん!

記録によると歩幅、約70センチ。股関節を最大に広げて歩いたようで、これはどう考えてもキツイ、丁度キャディが、歩幅1ヤードで距離を測る、まさにあれ!良くお世話になるが、見ているだけきつそうだが、それで地球一周?人間業ではない。ましてや、60や70のおじいちゃんが。

さらに、今でも海岸線を歩くとなると(日本列島の輪郭をつくるわけなんで、当然海岸線である)正直、崖があったり、密林など、歩けない。ドローンはないし、どうやったのか、感動を越えて奇跡というしかありません!

 

さてさて、ここまで長々としゃべってきたが、忠敬は何をしたかったのかといいますと、

地球の大きさを測りたかったようです。なんだ、それっなの?とドラえもんにお願いするか、ドロリアンでも乗って教えてあげたかった。

それなら、こんなに苦労しなくてもよかったのに、と思う訳であります!

 

そして73歳。死ぬまで歩き続けた忠敬はその生涯を閉じます。

 

最終章に続く。

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はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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このページは、haruyamaが2016年2月 3日 14:42に書いたブログ記事です。

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