haruyama: 2016年10月アーカイブ

イモトに学ぶ逆境の乗り越え方。

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「世界の果てまでイッテQ」という番組がある。

普段は、笑いが8割くらいの質のいいバラェティだが、年に一度イモトが世界最高峰の山を登る企画の時だけは、違う番組になる。

一度見ると分かるが、例えば、気軽に時代劇を見ていたつもりが、突然途中でガチンコ真剣で殺し合いが始まるようなものである。

 

最初見た時は衝撃だった。お笑いタレントがここまでやるか?というよりここまで出来るかというものだった。今回の企画も、本当に死と隣り合わせ、たった一歩足を踏み外せば、ほぼ間違いなく死ぬ。リアルに死ぬ。しかも、挑戦しているのはプロの登山家ではなく、いちお笑いタレントなのである。プロでも、命を落とすという山に毎年挑戦し続けて、成功させている。(マッキンリー(植村さんがなくなった)、マッターホルン、モンブランなどなど))

 

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録画してまだ見ていない方は、見た後で読んでください。結末が分かります。(著者注)

 

自分がやっているわけでもないのに鳥肌が立つ。

今回も多くのドラマがあったが、一番感動したのは、途中最大の難所での出来事。体力との闘いというより恐怖との闘い。ほぼ垂直の岩壁面と氷を自分の手と足だけで5時間以上も登る。足元は滑りやすく、実際何度も足を滑らせた。バンジージャンプやジェットコースターがいくら怖いといっても、命は保障されている。しかし登山は、失敗=死である。本当に怖いと思う。比較にもならないが、台風の中、都庁のてっぺんの外側を15センチほどの幅で歩き続けろというようなものかもしれない。いやもっとだろう。

 

話を戻すと、今まで世界中の難所を6つも制してきたイモトでさえ、足がすくんで一歩も、進めなくなった。場所は3500mを超えたところである。進むのも下がるのも出来ない。

体力も限界で、心が折れて、涙が止まらない。「助けて!」と叫ぼうが誰も助けてくれない。「ムリ!怖い!」を繰り返す。

周りのスタッフも助けることはできない。無理強いすることは死をも意味する。本人が気持ちを立て直して、登るしかない。

人が米粒のような、絶壁と強風の中で、全員が硬直状態。完全に気持ちが折れて、泣き顔で小さく丸まっていたイモトに、突然氷の小石が降りかかる。いくつもいくつも降りかかる。頭に当たる。痛い。痛い。どうして突然氷の小石が!と上を向くと、ガイドが上から投げている。「イタイイタイ!やめろやめろ!」ガイドはやめない。

イモトが叫ぶ、「痛いじゃないか!やめろ、何やってんだよ!」ガイドは笑いながら投げ続ける。そこでイモトの怒りは頂点。「ふざけるんじゃないよ!」

縮こまんでいた手足が再び動き出す。怒りのエネルギーが恐怖に勝ち。再び登り始める。「ふざけるな!」と叫びながら1時間30分以上登り始める。イモトの涙が止まったが、こちらの涙は止まらなかった。

そして、最後、刃物の先と言われる平均台のように前の人を歩いた足跡から少しでも外れると氷河まで転落するルートを緊張を持って歩き続け、スタートから約6時間 登頂! 本当に感動した!

そして学んだ。

人間、最後の最後では、感情が勝る!

いくら言い聞かせて、納得させるよりも、あるいは論理的に納得させようとしても感情の方が強い。

心理的に、どうしようない状態の時、特に短期間の場合は「怒りは最大のパワーになる。」これを改めて教えてもらった。


今回の学び 「人間 新の逆境の際、「論理」より「怒り」のパワーの方が勝る!」

アニサキス事件

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たいてい事件は突如として起こる。

明日から一週間の海外出張を控えた取締役会の真っただ中に、その事件は起こった。

 

急におなかを針で刺されるような激痛。

「痛っ。」しかしそれは、すぐに消えた。のもつかの間、安心しているとすぐに次が襲ってくる。いてもたってもたまらず、顔見知りで近くの内科に飛び込んだ。

待っている間も顔をしかめている様子を見て、看護婦さん、先生が慌てて診断してくれた。聴診器やおなかをさすつても分からない。内臓が腫れている様子もない。先生も明日からの海外という事を知り、「何が何でも原因を見つけないと」と、尿検査、血液検査、エコーと次々の検査をしてくれた。

しかし、原因はわからない。その間激痛は続く。どうなることやら・・。

 

それではと、急きょ、知り合いの病院に問い合わせをしてくれて、CI等の検査をしてもうことに。明日からの出張の事がちらつく、全てのスケジュールの手配の段取りが終わっており、変更もきかず、もし行けないと多大な迷惑がかかる。

 

元来僕は相当運がよく、こういったピンチの折は(今までピンチに比べたら、今回は大したことないが)大抵スルッとうまく行ってきた。

又、やばくなりかけると別プランを立てる事で、精神的も余裕が生まれ、そのプランを実行することなく、くぐり抜けてきた。

ただ、今回は身体の事なので別プランも何もない。超楽天家の僕も「今回は、やめかな?」と思いながら病院を移った。

 CIに続き、胃カメラも実施してくれることに。

 

結論から言えば、「アニサキス」という線状の回虫が原因であった。

わずか2cmほどの白いミミズの細い回虫が、胃の中を這いまわり胃の膜をかみまくる。痛そうでしょう?

胃カメラの麻酔から覚めて、先生が「これでした。」とアンモニア漬けした白い虫を見せてもらった時、気持ち悪い!の一言!――記念にもらいました(笑)

前日のバッテラが悪かったらしい。バッテラにその虫がいて、そのまま食べて、胃でも死なずに活動したらしい。イカもやばく、イカそうめんや糸切りもその対策らしい。

前日良く行く居酒屋に社員と行って大当たり!社員は全くOK.

この手の当たりは、いりませんなあ!(苦笑)

結局それを取り除くと、数時間後には嘘のように痛みは消えて、無事に次の日は海外に!

今回改めて思ったこと。

① 本当にお医者さんには感謝感謝です。 

② 結果オーライで、運がいいのか悪いのか? 

③ 豊洲問題に揺れる東京都ですが、健康と食の安全は最優先だと。 

 

今回の学び 

「上司からの指示とバッテラは、良くかみ砕いて飲み込むこと!そうすれば、大事には至らず!」

 

おまけ  やっぱり一寸法師におなかを針でつつかれた鬼は、死ぬほどいたかったのだろう。これでは降参やむなしだよな。

 

おまけ2 飛行機で「シビルウォー」を見た。その中でアントマン(1.5cmの正義の味方)の活躍に複雑な心境。

 

食欲の秋 みなさんもお気をつけて。

 さて、このど素人の絵画鑑賞を締めくくるにあたり、一つとてつもない本をご紹介する。

先ごろ亡くなった大橋巨泉さんの美術評論の本である(全五巻)

65歳から西洋美術にはまり、人生の最晩年の軌跡として我々に残してくれたのがこの本である。

本当に、素晴らしい。


癌に侵され、白内障による視覚障害と闘いながら、2007年から4年に渡り書き上げた言わば遺言となるような著書である。

ルネッサンスからモダンアートまでの膨大な絵画を、ご自身で全て体験され、それを本にした。時間と財力とあくなき好奇心、そしてそれを明確に伝える表現力がなければ存在しえない奇跡のような本である。この5冊さえ読めばルネッサンス以降の絵画のすべてが分かるといえば言い過ぎか?


僕が非常に刺さったのは2点。

1. 実際に絵画を見て口に出している。とにかく感じたままを書き、自分が感じなかったことは書かないということを徹底している。(「羽の生えた人を見たことがないから天使は描かない」と言ったクールベのような写実主義である。)

2. 各絵画における表現において、その画家の生い立ちが非常に関係しているとして、その生涯を非常に分かりやすく説明している点である。確かに、その人の生い立ちを振り返って見るとその人がどういう表現に行きついたか。そしてその作品は結果的どうなったかが手に取るように分かる。

(目に見える表面的なものではなく、内面までも映し出したゴヤのようなロマン主義でもある。――といったこともこの本を読むと容易に言えるようになる(笑))


さて、5巻の全てを紹介するわけにはいかないが、とにかく最後の巻の初めにセザンヌ編だけ読んでも分かる。こんなにセザンヌを酷評した人は、当時のサロンの人以外にいないのではないか?

実は僕もセザンヌに対しては全く同意見である。とにかく巨匠という事で無理やり自分の納得させてきたが、この本と出会い、長年の溜飲が落ちた気がした。

僕的にはセザンヌは画家として決してうまくない。(あくまでど素人の意見です。)

さらに右脳では全く反応しない。のちの影響を考えて巨匠巨匠と言われて、無理やりすごいんだろうな!と自分に嘘をついてきた。しかし、実際は、美術館でも素通りしたい画家である。


実はこういったことは良くある。巨匠と言われて自分の感じた事と別のことを口に出す。自分自身に嘘をつく。あるいは自分の感覚より世間の評判を信じる。これは全くの間違いで、特に嗜好品は100人いたら100人の感じ方があって当たり前で、一番大事なことは、自分に素直になること。自分の感覚を信じることだと巨泉さんに教えられた!!

本当にありがとうございました!!

 

巨泉さん  お安らかに。合掌

 

今回の学び 「世間の評価よりも、自分の目と耳と心で感じたものこそが、真実」

このたび、ルノアールを「幸せの画家」として公認致します!

と言っても何の権限でもないのですが・・。

 

今、フランスが大変なことになっている。前回そして今回のテロにおいて犠牲を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げる、(このブログは7月に書きました。)

度重なるテロを受けて市民の心は、非常に沈んでいると思う。大好きな国だけに心が痛む。

今こそ、フランス人にはルノアールに触れてほしいと思う。このフランスの宝で一時でも、フランスの人たちが心穏やかになる事を祈る。

 

新国立美術館にて、ルノアール展に行ってきた。

 

1.最初と最後は「ルノアール」

日本人が好きな画家を3人上げろ言われると、大抵ルノアールは入るのではないか?

と言う私も、印象派の中で最初に好きになった画家の1人であった。

その後、いろんな画家に触れる機会を経てルノアールの絵がまろやかすぎて、少し刺激のある変わった画家に興味が移っていった。

そして今回のルノアール展。

やはり、ルノアールは良かった、よすぎて思わず画集を買ってしまった。(笑)

ちょうど、ディズニーランドに行って、刺激的あるいは最新のアトラクションを行きたおした後で、「やっぱり、しめは、イッツァ・スモールワールドだよね!」と思う感覚に近い。

最初と最後はルノアール。(決して喫茶店の話ではありません(笑))

 

2.無限大の幸せ「ムーラン.ド。ギャレットのブドウかい」

ルノアールを見ると、幸せな気分になる。これは誰もが感じる事であろう。

この作品も、柔らかい日差しの下で、陽気な仲間に囲まれ、美味しい酒を飲みながら、おしゃべりをする。これ以上の幸せがある?そんな絵である。

学生時代、立教大学のキャンパスでも良く見た風景だ。(酒はなかったが)

結婚式のスピーチのベタネタに、「ベターハーフ」と言うのがある。(ベタを掛けました(苦笑)) 「不幸は二人で分けると半分に、幸せは二人で足すと倍に。」と言うあれである。この絵の何百人もいるであろう人の表情は全て優しく、笑っている。この絵は、そういう意味では、幸せの連鎖、無限大である。

 

いつも通り、まだまだ続く

3.ルノアールのラブレター「田舎のダンス」と「都会のダンス」

両作品とも縦2m弱、横1mもあろうかという大迫力の作品である。

どちらの絵が好きかは、議論の分かれるところであるが、僕は田舎のダンスに魅かれる。

「都会のダンス」は、ドレスの女性の緊張が伝わって来るようで、こちらも少し構え

一方「田舎のダンス」は、本当に見ていると思わず顔がゆるんでくる。おめかしした

衣装であるが、なぜがバタ臭い。(大阪あたりで良く見かける(笑))

しかし、この女性の表情は、圧倒的に嬉し楽しそうである。(これも大阪あたりでよく見かける)

この「田舎のダンス」のモデルは、ルノアールの生涯の伴侶とのこと。ルノアールは、

彼女に対するありったけの思いを込めてこの絵を描いたと思う。これは、「あなたが好きです!大好きです!」と言うルノアールのラブレターでもある。

 

4.熱く!ではなく、温かくなるのが幸せ「ピアノを弾く少女たち」

ルノアールの絵を見ていると、心が少し温かくなる気がする。

こんな人、周りにいませんか?その人と会うだけで、ほんわかと幸せな気分になる。

そう「トトロ」のような人。決して激しさによるエネルギーではなく、温かさによるエネルギー。

ぐいぐい引っ張っていく上司もいいが、職場の雰囲気を温かくする。そんな上司が周りにいたら最高ですよね!

「ピアノを弾く少女」を見た時、部屋の雰囲気が、パッと明るくなるだけではなく、温度さえも少し上がった気がした。

ゴッホやルーベンスなど会場が明るくなる画家はいても、温度まで上がる画家は少ない。

ルノアールは、暖炉のような温かさである。

 

5.木から板をつるしただけ、それだけで人は幸せになれる「ブランコ」

幸せは特別な事ではない、当たり前の事が幸せなんだ。海外の悲惨なニュースを見るたびに日常の幸せを感じる。そんな作品の一つが、この作品。

日常のなにげない瞬間を切り取っている。このブランコに乗っているのは子供ではなく大人、それが本当に楽しそう。ハイジのように楽しそう。

(以前にも書いたが)ガラヴァッツォは、劇的な瞬間をドラマチックに表現した、ルノアールも同様である。しかし両者の間には決定的な差がある。ガラヴァッツォは、闇の部分を切り取ったのに対して、ルノアールは、幸せの瞬間を切り取っている。

彼が切り取った幸せな一コマは、それを見る人を全ての人を幸せな気分にしてくれる。

さて、今全米で「ポケモンGO」が大人気と言う。モバイルホンで日常の景色をカメラで撮ると、そこにポケモンが写り、それをゲットするゲームだという。

そう、僕らの周りに、どこにでもポケモンがいるように、どこにでも幸せはある。

 

6.「道化師(ココの肖像)」やっぱり年を取ってからの子供はかわいいんだな。

自分の子供に対しての絵は、又特別で画面にはみ出るぐらい愛情があふれている。

「ガブリエルとジャン」何かおもちゃで遊んでいるその絵は、昔小田和正の歌にのっけて明治生命がやっていた家族の愛情写真キャンペーンを彷彿させる。

そして、とくに、60歳の時に生まれた三男のココ(ふつう孫じゃん!ただ最近73さんにしてパパになったミックジャガーには負ける(笑))対しては、90点を超える作品を残しているらしい。

もうかわいくてかわいくてしょうがないのだろう。丁度 じいちゃんが孫を溺愛して、何枚も何枚も写真を取るように。描いているほうも、描かれているほうも両方幸せであったんだろうなぁという情景が目に浮かぶ。

 

7.フォーエル(当社がやっているビッグサイズ専門店)万歳!ぼっちゃり美人は、

女神である「横たわる裸婦」

最近 男も女もとにかく、やせなければ!と強迫観念に追いまくられているのを目にする。見た目充分細いのに、もっとやせたいもっとやせたいと10人いれば10人いう。そんな人たちは、ぜひルノアールを見てほしい。2段腹、3段腹がなんて美しいのだろうか?ミロのビーナスもぽっちゃり系。そこには生命の強さと輝きが見える。

命名 ぼっちゃり系=ルノアール美人。

「あなたはルノアールに似てるね?」こう言われて怒る女性はいない。ルノアール美人を流行らせよう。

 

8.宮崎駿作品のヒロインのような「ジュリー・マネ (猫を抱く子供)」

この作品は他のルノアール作品とは、明らかにタッチが違う。ド素人の僕にでもわかる。

特にこの中の猫なんて、少女マンガに出来てるような猫である。それを抱えている少女も、宮崎駿作品のヒロインみたいに凛としている。

この作品には物語がある。

マネとは、かのマネの弟の子供。この少女がまだ若い時に両親が亡くなり、ルノアールは後見人として育てた。愛情の物語である。

生前、両親が頼んでルノアールが描いたというこの作品。これをジュリーは生涯手元に置いていたという。絵とは時として両親の代わりとして心の支えにさえなる。

「絵は見るものではなく、一緒に生きるものだ。」ルノアール 

 

ファイナルに向けて、もう少しつづく。


9.「浴女たち」 ミッションとは、辛く、悲しく、そして覚悟が必要な事である。

いつまでもルノアールワールドに浸っていたいが、そろそろ皆さんも飽きてきたと思うし、紙面の都合もあるので、これを最後にする。(笑)

 

「浴女たち」 ルノアールの幸せの情景。ここに極まり!

芝生に横たわっている女性を見ていると、雲の上に浮かんでいるようであり、極楽のようでもある。

ルノアールの真骨頂は、最晩年に表れている。

ルノアールが生涯をかけて、幸せとはなにか?を探り続けて行きついたのが、この作品のような気がする。

それは、「裸婦」であり、「明るい色遣い」であり、そして「親しい人とのなにげないひと時」である。この作品は、それが全部のせ!である。

まず、キャンパスの真ん中にウルフギャングのステーキのようにドーンと2枚、失礼、2体の裸婦が横たわっている。すごい迫力である。色遣いも「幸せの色」を定義すると多分こういう色なんだろうと思う色で描かれている。表情は、夢見る少女とそれを楽しそうに聞く友達。楽しいおしゃべりはずっと続きそうである。幸せ度MAX!

 

しかし、この作品をルノアールは不幸のどん底で描いた。

自身はリウマチの為に絵筆が持てず、腕にくくり付けて描いたという。また最愛の妻を失い、あの愛情の絵の子供も戦争で負傷して帰ってきている。

そんな最悪の環境の中で、最高に幸せな絵を描いている。

モーツァルトが最晩年病気に悩み、貧困の中で書いた、こんかぎり美しいメロディ「ピアノ協奏曲27」を彷彿させる。

 

なぜ、真の芸術家たちは、どんなに苦しい環境の中でも、それをおくびにもださず、素晴らしい作品を作れるのであろうか?

それに答えるように、ルノアールの言葉がある「最善を尽くすまで、死ぬわけにはいかない」   泣ける。

締めくくりに、ルノアールの言葉を

今回の学び 「芸術が愛らしいものであって、なんでいけないんだ。世の中は不愉快な事ばかりじゃないか!」

 

終わり


追伸

岡山の大原美術館を作る際、大原孫三郎の命を受け大変大きな役割しめした画家に児島虎次郎がいる。彼のやさしさの絵は、ルノアールにとても似ている。彼を日本の「幸せの画家」第一号として公認します。岡山に行った際にはぜひとも触れてください!
はじめまして! 治山です。 今回から、ブログというものに挑戦します。 「をとこ(男)もす(る)という日記というものを、社長もして心みむとて、するなり。」というか、 「つれづれなるままに・・。」という心情でしょうか。

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